エバーグリーン【湊静】 - 2/2

さすがに今日、何もないということはないだろう。返事を急かしたいわけではないが、何らかの答えは出さないと困る。このまま気まずくなっていくのも遠慮したい。それは静弥もわかっているはずだ。学校でも部活でも顔を合わせずに生活していくのは、まず不可能なのだから。
いつもどおり、と自分に言い聞かせて静弥の家の呼び鈴を押した。
「あら、湊くん」
「おはようございます」
反応があるまでは植え込みから顔を出すクマをなでながら待ったが、出てきたのは静弥の母だった。
「おはよう。静弥、今朝は早く行かないとってもう出ちゃったわよ」
「えっ?」
「めずらしく早起きしてると思ったんだけどね。この土日もずっとぼーっとしてたし……
「そう、ですか……ありがとうございます、いってきます」
「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」
軽く会釈して、自分の自転車を取りに戻る。クマが元気よく吠えて見送ってくれるのには「また、帰ってきてからな」とだけ声をかけた。
自転車に乗る前に、メッセージアプリを開く。何も連絡は来ていないから、見落としていたようではなさそうだ。べつに毎朝一緒に登校する約束をしているわけではないし、すれ違うことだってめずらしくない。
でも、有り得ないとは思わなかった。静弥はそういうやつだから。言わなくてもわかることはあっても、湊よりずっと隠すのはうまい。それがああして、隠せなくなっていたのだから、静弥の動揺はかなりのものだったのだろう。
ばかだな、と思う。だけど同じ分量で、好きだな、とも思った。賢いくせに。学年トップのくせに。
自転車で学校への道を急ぐ。道路にはまだ散った桜の花びらが残っているところがあった。木々はすっかり青々としている。
春が終わる、というよりもあっという間に夏になるのだろう。これまでも静弥とともに季節を巡ってきた。これからもともに過ごすことができたら、いや、できるはずだと信じて疑わなかった。
裏門の駐輪場に自転車を停めて、スマホを出す。相変わらず通知はない。『もう学校着いてる?』とだけメッセージを送った。ポケットに戻して、昇降口まで走る。なんだかじっとしていられなかった。焦りなのか、不安なのか。自分でもよくわからないけれど、心の奥がうずうずする。落ち着かないけれど、不快というわけでもなかった。
静弥が本当に考えた結果、やっぱりだめだと言うのならそれでもよかった。彼女を選ぶにしてもそうでなくても、湊を選ばないと言うのなら仕方がない。それに対してとやかく言うつもりはない。
ただ、本心を隠したまま、うやむやにすることだけはいやだった。
抱え込んだらろくなことにならないんだ、おれたちは。そう言ったのは、静弥のほうだろ。
「海斗、静弥見なかったか?」
教室に入り姿を認めるなり、あいさつもせず海斗に尋ねた。海斗は驚きつつも「見たけど」と答える。
「どこで?」
「何だよお前ら、やっぱなんかあったのか」
「なんかって何だよ」
「何キレてんだ」
「べつに……
言い淀む湊に、呆れたようにため息をつく。
「寺島に呼ばれてどっか行った」
「は? どっかってどこ」
「知らねーよ、だからなんでキレてんだよお前は」
説明をするのももどかしくて、荷物だけ置いてまた教室から出ようと踵を返す。「さっさと仲直りしろ」と海斗のぶっきらぼうな声がした。
べつに、けんかしてるわけじゃないんだけど。しかしその一言ですこし冷静になった。
「ごめん、ありがとう」
振り返ったが、海斗はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまっていた。静弥と、何か話したのかもしれない。
そこまで確認する余裕はないけれど、海斗なりに心配してくれているのがありがたかった。今度こそ教室を出て静弥のクラスへ向かう。
「静弥……竹早、どこに行ったか知らない?」
静弥の席には、かばんだけ置かれていた。出入り口付近にいた、話したことのない男子生徒に声をかける。
「さっき、荷物だけ置いてすぐ出て行ったけど」
「そっか、ありがとう」
この前の昼休みみたいに図書室で勉強、ならああして置きっぱなしにはしないはずだ。どこか、かばんを持って行かず話すとしたら。
以前彼女に呼び出された、特別教室のほうまで上がってみたが見当たらない。どこだ。スマホを見ると、先ほど送ったメッセージも既読になっていなかった。期待は薄いが再度『いまどこ?』と送る。
彼女が静弥と話すとしたら、昇降口のようにこれから人が多くなる場所の近くは選ばないはずだ。裏門は、通ってきた道だが誰もいなかった。いや、グラウンドの横を通る生徒がいるとしても、旧校舎へ向かう渡り廊下を使う生徒は少ないから、あるいは。
階段を駆け下りる。さっきからずっと走りっぱなしだというのに、ふしぎと疲れはなかった。
静弥と、ケンカをしたことがないわけじゃない。お互いに譲らないところは譲らなくて、あとから考えたらくだらないことでケンカして、遼平にケンカしないでよと泣かれたから仲直りしたこともある。
早気になったときは、自分のことで精いっぱいだった。自分のことしか考えず、八つ当たりみたいなことも言った。
こんなに静弥のことばっかり考えたことなんてあっただろうか。
静弥の言う「好き」という感情が、いま湊の中に生まれている感情と同じなのだとしたら、いつからそうだったんだろう。事の発端に「好きな子いるの?」と尋ねた際、それは湊だと答えた静弥の胸中はいかばかりだったろうか。考えると心苦しさはあった。
この一年で、言いたいことや気になることはちゃんとお互い口にするようになってきた。それでもまだ静弥には隠していることがある。それがいやだった。湊に関することなら、余計に。
湊とは違う「好き」なら、違うで構わない。だけどもし同じなのであれば、なかったことにはしないでほしい。静弥にだけ、そんな想いをさせたくなかった。
窓の向こう、渡り廊下の旧校舎側のほうに、ふたりが立っているのが見えた。一階まで階段を駆け下りてきたことよりももっと、鼓動が早まる。静弥はこちらに背を向けていて、かろうじて窺える彼女の表情から、談笑しているという雰囲気ではない。むやみに近づくのを、ためらいたくなるような緊張感があった。
渡り廊下に出る前に、いったん深呼吸をする。いざ静弥と顔を合わせたら、何を言えばいいのだろう。考えようとして、やめた。答えがほしい。ただそれだけだ。足を踏み出す。
「いいよ、僕でよければ」
「うん、本当にありがとう、竹早くん」
聞こえてきたふたりの会話に、足を止めてしまった。静弥に向かって笑った彼女が、はたと湊に気づき「あっ」と声を上げる。それに反応した静弥が振り向き、目を見張った。
「じゃあ、わたし戻るね」
静弥や湊が口を開くよりも早く彼女はそう言って頭を下げ、慌てたようにその場から駆け出した。静弥とすれ違いざまに手が当たり、「ごめん!」とだけ言い残して走っていく。
その背が見えなくなってから、静弥のほうへ向き直る。静弥は、ただぽかんとこちらを見ていた。
「何話してたんだ」
我ながら、拗ねた子どもみたいな声が出た。
「告白された」
なのに焦りもためらいもせず答える静弥に、顔をしかめてしまう。そういう、大事な話をしていたのであろうことくらい湊でもわかる。
受け入れるべきだとあんなに決意していたのに、いざ目の前で静弥が本当に彼女を選んだのだと思うと、どうしても穏やかにいられなかった。
「それで?」
ならどうして先に自分へ返事をしてくれなかったのかと、もどかしくなる。
「それで、って……というか湊、なんでここに? 海斗に聞いた?」
「そうだよ。家寄ったらおばさんにもうとっくに出たって言われるし、海斗もあの子に呼ばれてどっか行ったとかしか言わないし、メッセ送っても既読にならないし……探したんだぞ」
一昨日、湊からの告白にはあんなに動揺して今日まで逃げるように答えもくれなかったのに。あの子なら、すぐに受け入れるのか。
でもそれは、自分勝手にわがままを言ったせいかもしれない。だからこんなふうに苛立つのも、お門違いだ。ほんとうに、こんなに不機嫌をあからさまにした態度しかできない自分に失望した。
「それで、」
「断ったよ」
おれからの気持ちには応えられないってことでいいのか、と訊こうとしたが、静弥はそれを遮った。耳を疑う。
「好きな人がいるから、その気持ちには応えられないって、断った」
静弥は実に穏やかに、大切なものをそっと見せるように続けた。
「静弥?」
予想だにしていなかった言葉に目を見開いてしまう。じゃあさっきの、『いいよ、僕でよければ』と『ありがとう』は一体何の話だったというのだろうか。理解が追いつかないままの湊に構わず、静弥がほほ笑む。
その瞬間、やっぱり好きだ、と思った。
もう十年以上、いちばん近くでその笑顔を見てきた。胸が痛くなる。次に何を言ってくれるか、静弥が言葉にする前に、わかってしまった。
「湊、僕も湊が好きだ。僕は湊に、僕を好きでいてほしいし――ずっと湊を好きでいたい」
……なんだそれ」
この数分間の葛藤は一体、何だったんだ。ばつが悪いのを隠すように笑うと、静弥はまぶしいものでも見るように目を細めた。
自分は、ずっと好きでいたいと言うくせに、湊にはずっと好きでいてほしい、と言わないところが、静弥らしい。
そういうところを、やっぱりばかだなと思う。そして好きだとも。
距離が近すぎて、言わなくてもわかることはたくさんあった。言わないとわからないことがあるのも理解した。だからこそ言えないことも、きっとたくさん。
だけどようやく、そのうちのひとつを教えてくれた。全部教えてくれとは言わない。言えないことがあってもいい。でも、芽生えた感情は同じだった。それが嬉しかった。
どう伝えたらいいのかわからなくて、考えるよりも先に身体が動く。身長があまり変わらなくてよかった。すこし首を傾げるだけで、くちびる同士を重ねることができたから。
作法も手順も知らない、ただ好きだという気持ちだけの、つたないものだとしても。
「好きだよ、静弥」
改めて言葉にした。覗きこんだ瞳が揺れている。そこ以外はフリーズした機械みたいに硬直していた静弥が、突然へなへなとその場にくずおれてしまった。
何が起こったのかわからないとでも言うように目を瞬かせ、耳どころか学生服の隙間から見える首筋まで、真っ赤になっている。
なんだよ、もう。つい吹き出してしまう。一昨日に思ったなんだよ、とは正反対だった。
「そんなので、よくだめだなんて言ったよな」
やっぱり、あのときも喜んでたんじゃないか。もし静弥にクマのようなしっぽがあったとしたら、きっとちぎれんばかりに振っているのだろう。
想像したらあまりにもほほえましくて笑いを堪えられなかった。ほんとうにそっくりだ、静弥とクマは。やさしくて賢くて、湊を好きで。
「そんなに笑わなくても……
手を差し出すと、おずおずと握ってくれたので引き上げる。立ち上がっても、静弥は手を離さなかった。
「ごめん、なんか嬉しくて」
照れくさそうに俯いていた静弥が、そこでちらりと目線を寄越して「うん」と答える。また、新しい「好き」がこちらを射抜く。
ずっと一緒、なんて軽々しく口にできることではない。明日、何が起きるかは誰にもわからない。お互いに、いやというほど知っている。
それでも芽吹いて、根付いた。静弥を好きだと想う気持ちは、湊の中に。
花が咲いて葉が繁り、それらが散ることがあっても、また何度もくり返す。ずっと、いつまでも。
それだけは、いまこの瞬間、疑いようのない真実だ。

「さっき、あの子に僕でよければって言ってたの、なんだったんだ?」
「そこから聞いてたんだ」
「聞こえたんだよ」
「ああ、うん。なるほどね。たしかにそこだけ聞こえたら、ああなるね」
「教えられないっていうなら、いいけどさ」
「いいや? また勉強教えてって、まあお友達として今後もよろしく、みたいな感じ」
「ふうん」
――あのさ、湊がいますごくおもしろくないなって思ってるのは、わかるんだけど」
「べつに、そういうわけじゃ」
「いや、どっちでもいいんだけど、ごめん――感動してる」
「なんで?」
「だって……湊が、やきもちやいてる……
「あーもう! はっきり言うなよ!」

fin.

☆ハッピーエンド――

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!