光彩【湊静】 - 3/4

逃げ出してきてしまった。自宅までの道を早足で歩きながら、先ほどの湊の言葉を反芻してしまう。
だってあんなこと、急に言われたって受け止めきれない。心の中にある的へ、もう刺さるところがないくらい皆中させられてしまった気分だった。壊れたのではないかと思うほど、心臓が早鐘を打っている。
中学時代、愁目当てだろうと思っていた子に告白された。そのとき感じたのは、本当にどうでもいいなということだった。邪魔しないでほしい。湊を守らないといけないのに、どうしてほかの人を気にかけないといけないのかと、心底面倒くさいと思ってしまった。
そんな自分を薄情だなと思った。湊に対して好意を持っているという子も、根回ししてほとんど本人に伝わらないうちに終わらせた。湊は弓を引かないといけない。自分はその場を作り、かつ、湊と愁に追いつかないといけない。それを阻害しそうなものはすべて排除したかった。いまとなっては、それはやりすぎだったなと自省の念は懐いているけれど。
湊を、親友以上の意味で好きなのだと、自覚したのはいつからだっただろう。
本当に覚えていなかった。出会ってすぐからずっとそういう好意を持っていた気もするし、事故の後生死をさまよった湊が目を覚ましたとき、気づいたのかもしれない。絶対に失いたくないと。
だけど湊も、自分も、もう高校二年生だ。将来のことだって考えないといけない。もう追いかけたり、ついてきてくれるのを待ったりはせず並んで歩こうと決意したのは変わらない。
あの日の出来事があるから、別々の道を選ぶことになっても平気だと思った。目的地が違っても、その道はきっと隣にあるから。そう信じられる。
しかしこの恋情はまたべつで、なんとかしておきたかった。湊に『好きな子いるの?』と訊かれ、それが他人から尋ねるよう頼まれたと聞いたときは、やっぱり自分の好きと湊の好きは違うんだなと、改めて実感した。
それなら視野を広げようと思って、いままでだったら素気なく切り捨てていたものをとどめてみることにした。それにこれ以上、湊を介することもいやだった。それだけだ。
初めて彼女と連絡を取り合ったとき、期待を持たせるのも悪いと思ったのでまずはっきりと『好きになるかどうかわからないよ』と伝えた。彼女は『それでもいいです』と言った。
たとえ報われないとしても、好きだと自覚してしまったのだから。同じ気持ちが返ってこないからといって諦められるくらいなら、最初から何もしない。だけど何かをしたかった。本人にはとても言えないが、そこには共感した。だが彼女とこの先もずっと一緒にいたいかというと、そこまでは思えない。
――静弥が好きだ。
聞いた瞬間、その場にへたり込みそうだった。
あの、まっすぐな強い瞳に、どうしようもなく弱い。何だって言うことを聞いてしまいたくなる。湊の好きにして、湊の望むようにするよ、と言ってしまいたくなる。
だけどそんなのは、健全な関係ではない。ほかの誰に同じことを言われたって、こうはならない。湊は本気なのだと、わからないはずがなかった。それだけの時間を共にしてきたから。だからこわかった。
これまで、報われることなど期待せず、それでもただ好きだからと注いできた気持ちが、きっかり同量で突然戻ってきたことが。
「どうしよう……」
門扉を閉めて、植え込みの影に隠れるみたいにうずくまる。クマが様子を見るように周りをうろついたが、動こうとしない静弥に遊んでもらえないと悟ったのかすぐ自分の小屋に戻った。湊はまだ戻る気配がない。いつまでもいつまでも、耳が熱かった。

月曜日もいい天気だった。湊を避けるように先に登校したら、正門近くで海斗に会った。
「おはよう海斗、ずいぶん早いね」
「はよ。日直だよ。お前こそ早すぎんだろ」
「目が覚めちゃって」
というよりはよく眠れなかったのが正しい。海斗は「あっそ」とそっけなく返しただけだったが、しばらく歩いた後ふと足を止め静弥を見た。
「お前……寺島と付き合ってんのか?」
「え? 付き合ってないけど」
まさか海斗からその話題が出るとは、と驚いたが、特に興味があるようでもなく、はあ、と盛大にため息をつく。
「ならそう言え。七緒も遼平も、女子もみんなわーわーうっせーし、湊なんてずっとシケたツラしてたぞ」
「なんか迷惑かけてたみたいだね」
「ほんとにな。だいたいあいつも、気になるなら自分で訊きゃあいいのによ。相変わらずお前ら、変なところで遠慮し合うよな」
「そうかもね」
すこし思案して、客観的な意見を求めてみたくなった。ささやかに抵抗する意味も込めて。
「あのさ海斗、驚かないで聞いてほしいんだけど」
「何だよ、改まって」
「実は、湊に好きだって言われたんだ。どうしよう」
「はあ?」
何言ってんだこいつ、というくらい心底呆れた声だった。
「んなもん、お前らとっくの昔から好き合ってんだろ。何だよいまさら」
「えっ」
そんなに筒抜けなのだろうか。自分はともかく、お互いと言われたのが想定外すぎて、戸惑ったまま「そうかな……」としか言えなかった。
「そうだよ。んなこといちいち報告してくんな」
「ごめん……」
さも当然のような口ぶりでそんなことを言われたら、素直に謝るしかなくなる。なんだかめずらしく海斗にやり込められてしまった。
「海斗は、七緒が女子と仲良くしてるのを嫌だと思うことはある?」
そのまま昇降口で靴を履き替え、廊下を歩いている途中に疑問を投げかけてみた。海斗が立ち止まる。
「はぁっ?!」
先ほどとはまったく違う、かなり大声を出されたので肩がびくっと跳ねた。
「ねーよ! ぜんっぜんそんなこと思わねー!」
朝の、静かな校舎に海斗の声が響き渡る。もう登校している生徒が何事かと教室から顔を出したのが見えた。そこまで全否定することだろうか。
「お前、あいつのあのチャラチャラした女癖の悪さで俺がどんだけ苦労してるか知らねーからそんなことが言えるんだよ」
「人聞き悪くない? 七緒ってああ見えてみんな平等に相手してるんだろ? あれは女癖が悪いとは言わないんじゃないかな」
「それは、そうかもしれねーけど……マジでうぜえからな。毎日毎日別の女の話を聞いてもねーのにぺらぺらしゃべりに来やがって、もうずっと迷惑してんだよ俺は」
とは言いつつ追い出さず話を聞いてあげているというわけだし、何だかんだ毎日海斗の元にはずっと戻ってきているということなのでは、と思ったが口にするのはやめておいた。いとこはいとこで複雑だ。
マジでありえねー、とぶつぶつ言いながら海斗が歩き出した。静弥も後を追う。そのままこれといった会話もせず歩いていたが、先に階段を上っていた海斗が「あ」とつぶやいた。追いつくと、廊下の向こう側から彼女が歩いてきていた。思いがけない、というように目を見開いている。
「お、おはよう、小野木くん、竹早くん。早いね」
「はよ。俺は日直。こいつは暇人」
べつに暇だから早く来たわけじゃないけど、と思いつつも湊と顔を合わせづらいとも言えないので、無視して「おはよう、そっちこそ早いね」とにこやかに声をかけた。
「あー、うん。わたしも暇人かな……」
「一緒だね。じゃあ海斗、また昼休みに」
海斗は「おー」と気のない返事をして教室に入って行く。
「それじゃあ、」
同じように声をかけたが、「ちょっと待って」と引き留められた。もう、雰囲気だけでこの後重要な展開が起きるとわかるような、こわばった面持ちだった。
「ちょっとだけ、話できないかな……」
ああ、この感じ。覚えがある。了承して、「場所変えようか」と言うと、彼女はそうすることしかできないようにこくこくうなずいた。
旧校舎へ続く渡り廊下は、まだほとんど人気がなかった。
しばらく無言で向かい合っていたが、心の準備ができたのか、彼女が「ほんとうは、」と切り出した。
「もうすこし待ったほうがいいと思ったんだけど、わたしせっかちみたいで……竹早くん、」
「うん」
「わたし、竹早くんが好きです。好きになるかどうかはわからない、って言ってたけど、いまも可能性はないですか?」
まぶしいな、と思った。春の朝日があたりを満たして、視界にうつる色の輝度が高い。グラウンド横の新緑があざやかだった。
昔みたいに、どうでもいいなんて薄情なことは思わなかった。普段、よく通る高い声は震えていて、静弥よりも細く華奢な身体のどこにそんな熱量があるのだろうと思わせるほど、想いは伝わってきた。湊ほど一緒にいたわけでもないのに。
自然と、心から「ありがとう」という言葉が出た。そして「でもごめん」とも。
「その気持ちには、応えられないんだ」
彼女は、まっすぐ静弥を見ていた。
目を赤くして、それでも泣くまいとしているようだった。「うん」と返ってきた声は、痛々しいほどに小さかった。
彼女のことはよく知らなかった。去年、同じクラスで、サッカー部のマネージャーで、高い声がよく通る。本当にそれくらいだ。学校行事の班で同じになったとき、たまたますこし話をした。同じ、海外のクラブチームが好きだった。戦術みたいな、女子は退屈であろう話をしても『すごい、竹早くん。やっぱ頭いいね』と楽しそうに聞いてくれた。
だから湊から話が出たときも、そこまで意外とは感じなかった。この数週間接してみて、いい子だな、とは思っている。マネージャー業をやっているだけあってよく気がつくし、聞いたところによると妹が二人いるらしく面倒見もいい。魅かれてもおかしくない。
それでもいま、湊に会いたいと思った。顔を合わせづらいと思ってこうして早く出てきたのに、湊に会いたかった。湊じゃなきゃ、だめだ。
彼女も湊くらい真摯に静弥を好きだと言ってくれている。それはわかる。
だけどやっぱり、湊がいい。自分ではどうにもできないほど、この心を震わせるのは、湊しかいない。
「竹早くん、本当は好きな人がいるんだよね」
「――うん、気づいてたんだ」
「だって、わたしも竹早くんが好きだから」
どうしてその先にいるのは、自分ではないのだろうという気持ちは、苦しいほどによくわかる。自分もずっとそうだった。
自分じゃもう何もしてあげられない、もう必要がない、という無力感は、拭えはすれど忘れられるものではない。
――静弥のいちばんがおれじゃないのが、いやだ。
本当に湊は勝手だ。自分からは距離を取ろうとしたり、静弥以外を優先したりしていたくせに。全然わかっていない。静弥が、湊以外をいちばんにしたことなんて一度もない。
先週の昼休みは、まさか湊に告白されるなんて思ってもいなかったから、まあまあうまくいってますよと状況を伝えたかっただけで、湊より優先したつもりなんてこれっぽっちもないのに。
結果的にそれが引き金になったようだったが、早とちりしたのは湊のほうじゃないか。
なのにどうして、こんなに好きなんだろう。出会ってからこれまで、つらいことだってあったし、ケンカだって、些細なことから大きなことまで何度もした。すれ違ったり、いまもこうして憤ることもある。でも湊のことは、何ひとつ嫌いになれない。
もしかしたら、ただの罪悪感なのかもしれないと思ったこともあった。この気持ちは贖罪で、恋とは似ても似つかないものなのではないかと。
それでも「好き」という感情はまばゆい光で輝いていて、なにもかもを明るくかき消してしまう。
湊、僕は君が好きだ。誰にも取られたくない。君だけが、ずっと好きだった。
「僕は、その人をずっと好きだったけど、同じように好きになってもらえることはないと思っていたんだ。だからもう、そろそろ諦めてほかを見ようと思ってたんだけど……」
「諦められなかったんだね」
「うん、ごめんね」
「謝らないで。それでもいいって言ったの、わたしだから。わたし――まだ誰にも言ったことないんだけど、将来教師になりたいの。それで、竹早くんは本当に教え方が上手で、もとはといえば仲良くなるための口実だったけど……それも勉強になった。ありがとう」
「そうなんだ。すごく……すごく合ってると思うよ。いい先生になりそう」
お世辞ではなく、本心からそう思った。
「ありがとう――未練がましいかもしれないけど、またわからないところがあったら、聞いてもいい?」
「いいよ、僕でよければ」
「うん、本当にありがとう、竹早くん」
そういって彼女は泣きそうに笑った後、静弥の後ろに視線を向け「あっ」と声を上げた。振り向くと湊がいた。なんで、と思ったが、静弥が反応するよりも早く彼女は「じゃあ、わたし戻るね」と言いぺこりと頭を下げる。あまりにも焦っていたのか、すれ違いざまに手がふれ、「ごめん!」と言って去っていった。氷みたいに冷たくてびっくりした。改めて緊張の度合いを知る。
彼女の背中が見えなくなってから、こちらへ向き直った湊が露骨に不機嫌な声色で「何話してたんだ」と言った。
「告白された」
ますますむすっとした表情になりながら「それで?」と粗雑に詰問する。だいぶご機嫌斜めだ。一昨日逃げたこと、今朝一報も入れず先に登校したこと、いろいろと腹に据えかねているらしい。
「それで、って……というか湊、なんでここに? 海斗に聞いた?」
「そうだよ。家寄ったらおばさんにもうとっくに出たって言われるし、海斗もあの子に呼ばれてどっか行ったとかしか言わないし、メッセ送っても既読にならないし……探したんだぞ」
なんともじれったそうな口調だった。駐輪場から昇降口までは渡り廊下の隣を通るはずだから、ちょうど行き違ったのだろう。探してくれた、湊が。それだけで飛び上がりたいくらい嬉しかった。
湊がいつか、好きな人ができたと打ち明けてくれたら、いちばんに喜ぼうと思っていた。
できればその日を迎えるのが、一日でも遅くありますようにと祈りながら。だけどもう、祈らなくていい。こんな日が来るなんて、夢にも思わなかった。むしろ夢なんじゃないか、と信じられない気持ちでいっぱいになる。脈打つ心臓が痛い。この痛みは夢じゃない。
「それで、」
「断ったよ」
とげがびっしりついたような声で、苛立ちを隠しもしない態度も嬉しかった。湊が、自分のために感情を乱しているということが。こんなに嬉しいことは他にあるだろうかと思うくらい。
「好きな人がいるから、その気持ちには応えられないって、断った」
静弥のようすが、公園で話したときとはまったく違うことに気づいたようだった。目を見張ってから、湊がふしぎそうに「静弥?」と言う。
「湊、僕も湊が好きだ。僕は湊に、僕を好きでいてほしいし――ずっと湊を好きでいたい」
もう迷わなかった。どうしたい、と言われたら、それしか思い浮かばなかった。
性別だとか将来だとか、そんなことはどうでもよかった。ただ好きだ。理由なんてない。湊を構成するもの、すべてが愛おしかった。
「……なんだそれ」
ちょっと呆れたみたいな、照れているようにも見える顔でくしゃっと笑う。
いままでずっと閉じ込めていた光があふれるようだった。そのまばゆさに目を開けていられなくなる。ああ、なんてまぶしいのだろう。
こんなにも好きだ。好きで好きで、苦しいくらい。光彩陸離たる世界の中で、湊だけ。湊だけがいちばん、誰よりも。
湊が近づく。影がかかる。あ、と思ったときにはもう、瞳も見えなかった。いちばんやわらかいところ同士がくっついて、すぐ離れる。
「好きだよ、静弥」
愛おしさを音にしたら、この声になるんじゃないかと思うような、告白だった。
ずるい、湊は。あっというまに、嬉しいことの順位を塗り替えられてしまう。
今度こそ、我慢できずその場にへたり込んでしまった静弥に「そんなので、よくだめだなんて言ったよな」と湊が笑って手を差し出す。立ち上がるために握ると、ひだまりみたいにあたたかかった。

 

fin.

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