乙女心と秋の空っていうけれど、野球ファンの心と秋の空という言葉も作ってほしい。いや、ちょっと語呂が悪すぎる? とにかく、数週間前までは十年ぶりの優勝であんなに嬉しかったのに、いまはどん底だった。こんなに落ちる? というくらい。いや、落ちるんだこれが。わかるまい……。こればっかりは、経験したファンにしか……。
解説者が『リーグ内に六チームしかいないんだから、六年に一度は優勝するはずなんですけどねー』なんて言っていた評価に開幕前からムッとしたり、マジックが点灯してからもかなり一喜一憂したり、父親から十年前当時の優勝のときの話を聞いたりして、ついにその日は訪れた。
リーグ優勝って、なんて甘美な響きなんだろう。これまでは『優勝』という称号に対して馴染みがなさすぎて、ああ今年もBクラスかぁとか、今年は三位になれてよかったなぁ。くらいしか感じていなかったのに。テレビの向こうで、ベテランも若手もいっしょくたに喜んでいる姿を見ていると、応援していただけなのに少し泣けた。父親ははっきりと泣いていた。
だがしかし、クライマックスシリーズ、敗退――。
優勝したのに。優勝したのに! 日本シリーズには出られないなんて! そして勝ち進んだチームが、もしそのまま勝ってしまえば『日本一』の称号はあちらに与えられてしまう。こんな理不尽が許されるのか? 残念ながら許されちゃうんだよなあ、現行のルールだと。
どうしようもないのだ。このルールの上で、現代のプロ野球という興行は成り立っているのだから。CS争いが実際の観客動員にどんなに影響しているかだとか、そういうビジネス的な狙いがわからないほど七緒は子どもでもないのだ。そう考えていないとやってらんない、という意味で。優勝以降の記憶をなくしたほうが、今年については幸せかもしれない。
そんな感じで秋の空よりも激しくころころと感情が移り変わっていたので、小野木家が小旅行をしていたことを思い出したのは、リビングのテーブルにおみやげのお菓子が置いてあったからだった。
「どーしたの? これ」
「姉さんたちのおみやげ。言ったでしょ? もう。お父さんといい、最近ずっと上の空なんだから」
「あー、そういえば……」とぼんやり返事をして、制服を着替えるためすぐ自室に引っ込むことにする。そういや最近かっちゃんと会ってなかったな、ということもあわせて思い出す。あちらはまったくもって弓以外のスポーツに興味がないので、優勝以降これといった会話をした覚えもない。
いいよね、興味がない人は。こんな悲しみを味わうこともないんだからさぁ……なんて考えながら自室の扉を開けると、真っ赤な野球帽が机の上に置いてあった。
「え」
思わず周りを見回してしまう。自分の部屋で間違いない。カエルコレクションはいつもの位置に鎮座している。当たり前だが他は誰もいない。なぜだか足音を立てないよう、そっと近づいていた。赤い本体に紺色のつば、『A』のロゴ。間違いなくアローズの帽子だった。手に取ると、しっかりとした厚みがあった。たまに球場で無料配布されているようなメッシュ素材でもない。オフィシャルショップで見たことがある、レプリカキャップだ。
「お母さん、これどうしたの?」
結局着替えもせずにリビングまで戻ると、母親は「ああ」と事もなげに答える。
「かーくんがくれたの。誕生日プレゼントだってさ」
「オレ、聞いてない……」
「聞ける状態じゃなかったからでしょ。お礼言っときなさいね」
早く着替えて手伝って、と母親は夕飯の準備に戻ってしまった。
先月の海斗の誕生日には、好きなアーティストのCDを買った。特典付きのアルバムは値段的に親に買ってもらうから、七緒はシングルをプレゼントした。物心ついたときからささやかにプレゼント交換をしていたが、中学生になったことだしと少し奮発したのだ。
しかし、海斗はプレゼント自体は喜んだが「来年からはもういらねーから」と言ったのだった。どうやら、小学生時代より増えたお小遣いで姉たちにプレゼントをして、大騒ぎされたのが嫌になったらしい。七緒にだけプレゼントを続ける、自分だけもらい続ける、というのも真面目な海斗の選択肢にはないのだろう。
最後ならとびっきり高いもの買ってもらっちゃおうかな、なんてふざけていたのに、そのあとすぐアローズが優勝して、そしてクライマックスシリーズで敗退して、と目まぐるしい日々を送っていたのでそんなこともすっかり忘れ去られていた。
部屋に戻って、もう一度帽子を眺めてみる。誕生日プレゼントなのに、包装も何もないのが海斗らしかった。
「……なんだよ」
ぽつりと声になっていた。なんだよ、かっちゃんのくせに。野球になんか興味ないくせに。いまオレがどんなに悲しいか、これっぽっちもわかってくれないくせに。
ほっぺたが緩んで仕方がない。身体を満たす感情の正体が、よくわからなかった。けれどひとつもこぼしたくなくて、着替えている途中に床にしゃがみ込んだ。できるだけ身体を丸めて、小さくなろうとする。いま感じていることが、少しも希釈されてほしくなくて。
どうしてこうも優しさがわかりにくいのかな、あのいとこは。もう少しわかりやすければ、いまの弓道部でだってあんなトラブルが起きることもなかっただろうに。
だけど自分はわかっている。あの不器用な優しさを。みんなに知ってほしいのに、同時に誰にも知られたくないとも思ってしまうのが嫌だった。
中学が別れてから、海斗に対してそういう相反することばかり思っている。いや、海斗が弓を始めてからだろうか? とりあえずそのぐちゃぐちゃとした感情にふたをして、見ないことにした。
「――とりあえず、お礼しなきゃね」
落ち着いてから立ち上がり、そのあとはさっさと着替えて母親の手伝いに行った。
優勝以降の記憶、消せなくなっちゃったじゃん。なのにちっとも嫌じゃないんだから、困る。
fin.

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