十七歳って、中途半端な年齢だ。年度が替わるとすぐにある静弥の誕生日で、毎年自分たちの年齢を意識していた。去年はあまり、それどころではなかったけれど。
大人になった、と堂々と言える年齢ではない。けれどまだまだ子どもだな、なんて言われたらうとましく感じる。そういうところもあやふやだし、何せ湊自身は十六歳になってまだ三ヶ月しか経っていない。
それでも学年は上がる。クラスも変わり、新入生が入学し、弓道部には何人か後輩も入ってきた。彼らの、洗いたてのシーツのようにぱりっとした緊張感や初々しさはまぶしく、初心に立ち返る気持ちになる。
教室から出て、呼び出された場所へ向かおうとすると廊下の向こうに七緒がいるのが見えた。目立つし、取り巻きの女子がいつもいるのですぐわかる。向こうも湊に気付いたらしく「あ、湊!」と手を振り、女子たちへ断りを入れるようにその場から離れ駆け寄ってきた。
「メッハー、かっちゃん教室にいる?」
「うん、自分の席にいたと思うよ」
「ありがと。湊はトイレ? 方向違くない?」
「いや……ちょっと呼ばれてて」
「先生に? それとも女子?」
「な、なんで」
言い当てられるとは思わずあからさまに動揺すると、七緒は「ははーん」とすこし意地悪く笑う。
「いやあ、春ですなあ。湊もスミに置けないなあ」
「そ、そういうのじゃないってば。おれもう行くから!」
振り切って歩き出したら、また詳細聞かせてねー、と声がしたが聞こえないふりをする。背中で七緒がやれやれと笑っている気配だけはした。
本当に鋭いというか、周りをよく見ているところには感心するけれど、対象が自分になると途端にきまりが悪くなってしまう。
窓の向こうにはだいぶ葉が目立つようになった桜が見える。そう、春だ。新入生への部活勧誘、体験入部、進級時の実力テストやらは先週終わった。入部してきた一年生への対応も、そろそろひと段落着くころ。
――鳴宮くん、次の休み時間にちょっと話したいことがあるんだけど……。
と話しかけてきた相手は、去年に引き続いて同じクラスの女子だった。サッカー部のマネージャーで、高い声がよく通る、どちらかといえばおとなしめの印象、くらいしか知っていることがない。ほとんどしゃべったこともないし、また同じクラスなんだなという認識しか持っていなかった。
そんな女子が緊張にこわばった面持ちで話しかけてきたのだから、いくら鈍感だと言われる湊でも何か彼女にとって重大な話があるのだろうということくらいは察せられる。
三階にある特別教室は、基本的に一年生しか使わない。いまの時期はまだ使うことがないので、あまり人気がない。その第二音楽室の前で、彼女が待っていた。
「ごめんね、急に呼び出すようなことしちゃって」
「いや、いいよ全然」
「えっと……こんなこと急に訊くのは、迷惑かなとは思うんだけど――」
周りが静かだからか、緊張で空気が張り詰めているように感じる。ふうと息を吐く彼女にあわせて、こちらもつばを飲み込んだ。
「竹早くんって、いま付き合ってる子いるのかな?」
「――へ?」
聞き間違いでなければ、いま湊ではない人物の名字を言ったと思うのだが。
「鳴宮くん、幼なじみなんでしょ? 彼女いるかどうかって、知らない?」
どうやら人違いではないようだった。何だろう、この肩透かし感。いやべつに、何を期待してたというわけでもないんだけど。と誰にでもなく心の中で言い訳する。
「いや……そういう人は、いないみたいだけど……」
困惑を隠せないまま、なんとも曖昧な回答しかできなかった。いない、とは思う。そういう話をしたことがないし、聞いたこともない。
だがもし静弥が誰かと恋人関係である、なんてことになっていても、本人が隠しているなら湊は気づかない自信がある。立場が反対だったら、絶対に気づかれてしまうであろう自信も。何せフウの羽根だけで、湊がどこかに行って、誰かに会っているのではと勘づく幼なじみなので。
「そっかあ。じゃあ、好きな子がいるかとか、好きなタイプとかはわかる?」
「ごめん。あんまりそういう話にならないから、ちょっとわかんないかな……」
「そうなの? 弓道部ってストイックなんだね」
「ストイックかどうかはわかんないけど……」
確かに七緒が恋バナしようよと誘ってくることはある。男子高校生が五人もいて、そんな話にならないほうがおかしい。が、誰もこれといったエピソードがないのですぐ終わってしまうというのが実情だった。ストイックなんて、ポジティブすぎる言い方だ。どちらかというとお子様だろう。
弓の話なら延々とできるのだけれども、と考えたところで中学生のころから話題の対象が変わっていないことに気づいた。いやむしろ、小学生からだろうか。それって結構、やばいのでは。
「まあ、人によるよね。ごめんね、突然。周りが、鳴宮くんなら知ってるんじゃないかって言うから」
予鈴が鳴ったので、彼女が「戻ろうか」と言い歩き出した。後を追う。
「なんか、全然役に立てなくてごめん」
家が真向いの幼なじみで、部活も一緒で、親友といえる付き合いなのだから、その周りというのが湊に聞いてみればと提案するのも当然だろう。卑下でなく、自分でも役に立たない幼なじみだなと思った。
「いやいや、わたしこそ急にごめんね……それなら、いっそのこと聞いてみてもらうことってできる? 竹早くんに好きな子がいるのかとか、どんな子がタイプなのかとか」
「ええ……」
「単純に気にならない? これまで話したことがないなら余計に……って、ごめん。わたしが自分で訊いたらいいよね」
「いや、べつにそれくらいならいいけど」
「ほんとう?」
勢いよくふり返って、スカートが翻る。それと、ひとつにまとめられた髪が。香った甘い匂いが、シャンプーなのか化粧品なのか湊には判別がつかなかったが、すこしどきっとした。
「訊いてもらえるのなら、ものすごく助かります」
物々しい口調に圧されるように「わかった」と答えていた。彼女は脱力したようにふにゃっと笑う。
「けど静弥、すんなり教えてくれないかもよ」
「でも、わたしと鳴宮くんとでは全然違うよ。本当に助かる。ありがとう」
胸をなでおろしたように、おおきく息をはいていた。相当緊張していたらしい。
教室に入る前、「急がないから、よろしくね」と念を押され、これは聞かずにうやむやというわけにはいかなさそうだと思った。
彼女の真剣さに比べたら、ずいぶんと安請け合いをしてしまったなと、すこし罪悪感が残る。
静弥は、部長として忙しくも充実しているようだった。弓道部は新設で県大会優勝、の効果かわりと部員が入ってきた。去年のように、一カ月後にはほとんどいなくなるかもしれないが。
マサさんやトミー先生が手一杯な時は、静弥が新入生の初心者に教えてあげている姿も見かける。去年から遼平の面倒を見ていたりもしたし、教えるのがうまいのだ。
しかし「部長とコーチは仲が悪いんですか……?」とこっそり聞きに来た新入生もいたので、マサさんとの関係は相変わらず、といったところだ。湊から見れば特別仲が悪いとも思わないのだけれど、マサさんにびしびし突っ込んでいく静弥の様子は、見慣れていないと仲が悪いように見えるのかもしれない。マサさん以外には物腰柔らかい、優しい部長なので余計に。
*
「あのさ静弥、これはおれ個人が知りたいわけじゃなくて、あくまで人から訊いてもらえないか頼まれたことなんだけど」
「何、突然改まって」
忘れないうちに、と思い放課後の帰り道でふたりきりになったタイミングで切り出すことにした。夕焼けに、ふたつの影が伸びている。
「静弥って、――好きな子いるの?」
途端、隣にいた影が止まった。湊も止まって振り返る。静弥は、初めて聞いた言葉の意味を考えるように、目を丸くしてまばたきをしていた。そのようすに、思ったより緊張してしまったので彼女の気持ちを慮る。
「――いるよ」
「えっ?!」
しばらく沈黙した後、ぽつりと返ってきた答えに大きな声が出た。しかしそうして驚いた湊をからかうように笑って「湊」と続けられたのでがっくり肩を落とす。何だったんだ、いまの緊張は。
「いや、そういうことを聞きたいわけじゃなくて……」
「だって僕、中学のとき告白されたら全部そうやって断ってたよ」
「うそだろ?!」
それはとんでもなく誤解を生む発言ではないか? こちらの知らないところで何ということを。というか告白されたら全部ってどういうことだ、知らないところで女子から告白されてたってことか? 次々生まれる疑問に混乱していたが、静弥はくすくす笑って「うそうそ」と言った。
「冗談だよ、本気にしないで」
「たちの悪い冗談はやめろよ……」
ごめんごめん、と言いながら静弥がまた歩き出した。
「人から頼まれたんだ? 湊もお人好しだね」
「断れなかったんだよ……じゃあ好きなタイプは?」
「好きなタイプかあ、クマみたいな子かな」
「それ、女子の好みとしては間違った表現だろ……」
それ以上はお互いの家に着くまで、何を聞いても大した回答を得られなかった。やっぱり、すんなりとは教えてくれないようだ。
クマはたしかに主人である静弥に似て優しくて賢い子だし、おまけにもふもふしていてかわいいし、湊としてはその好みには大いに賛同できるが、何も知らない女子にそれを好みとして伝えるとしたらどう表現したらよいものか。
*
翌日、周りに人がいないのを見計らって彼女に「昨日の話なんだけど」と話しかけると、慌てたように廊下の端っこまで連れて行かれた。
「ど、どうだった? ていうか早かったね?」
緊張をごまかすように、落ち着きなく前髪をなでつけている。とてもじゃないが忘れないようにさっさと聞いただとか、早々に任務から解放されたかっただとかは言えそうにない。しかもそれで得られた答えがアレなわけだし。
「好きな子は特にいないみたい」
そこが緊張のピークだったらしい。彼女は胸元に手を当て、ほうっと息をはきながら「そうなんだあ……」と心底安堵したように言った。
「ごめん、わたし本当にビビリなんだ。もういちいち緊張しちゃって」
「いや、うん。緊張するよな。それで好きなタイプも聞いたんだけど、」
湊を見上げた目は期待の色に満ちていて、うまく聞き出せなかっただなんて言えなかった。
「あー、その、優しくて賢い子、って……」
これ以上どう表現すればいいのだろうか。内心ひやひやしたが、彼女は「なるほど……」と真剣な表情になる。
「やっぱ学年トップだもんね。賢い子がいいよね」
「うん……そう、なのかな?」
まさか自分の家の飼い犬みたいな子がいい、なんて言っていたとは説明できるはずがない。彼女は自分の中で何か納得したのか、何度かうんうんとうなずき顔を上げた。
「ありがとう、鳴宮くん。本当に助かった」
特に有益な情報を提供できたとは思えなかったが、真剣にお礼を言われるとすこしでも役に立てたかなという気持ちになる。と同時に任を果たしたと気が楽になった。
「鳴宮くんも、気になる子がいたら教えてね。絶対協力するから!」
彼女は力強くそう言うと、くるりとスカートを翻して教室に戻っていった。
「気になる子……」
つい、ひとりごちる。ずっと弓に一生懸命で、中学時代もこれといったことはなかった。弓に出会う前の小学生時代だって、静弥や遼平と全力で遊ぶことにばかり一生懸命だった。
愁は貴公子ということで人気だったし、昨日さりげなく言っていたけれど静弥もひっそりとモテていたようだ。それでもふたりとも、浮いた話なんてひとつも出てこなかった。
高二にもなって、あまりにもそういう気配がなさすぎるのは、やはりおかしいのだろうか。
*
その日の夜は、夜多の森弓道場へ顔を出すことにした。最近はマサさんも部活関連のあれこれで忙しそうだったので、久しぶりだ。フウを肩に乗せてマサさんの射を見学する。出会いの日のように静謐な紺碧の中で、今宵も美しい弦音が響いていた。
「今日はいつにも増してぼーっとしてたな」
しかし射終わったマサさんは開口一番失礼なことを言った。
「それじゃあおれがいつもぼーっとしてるみたいじゃないか」
「自覚なしか?」
湊がむっとしても快活に笑うだけで意にも介さない。だがここに来たということは、すこしでも話を聞いてもらいたかったというのが本音だ。そして、湊の思惑をマサさんも理解している。実は、とまで言いかけたがふと言いとどまる。
「先に、絶対にからかわないって約束してくれる?」
「それはフリってことだよな?」
「フリじゃないってば! まじめな話だからちゃんと約束して」
マサさんは「はいはい」と目をつむり宣誓するように片手を上げた。
「弓の神様に誓って、からかいません」
敬虔な口調が却ってうさんくさいというか、いまいち信用しきれないのだが、話さないという選択肢もないので仕方がない。言質を取っただけでよしとする。
「――マサさんって、高校生のとき彼女いた?」
最初は、発言の意図をつかめないというようにぽかんとしていた表情が、じょじょにゆるんでやに下がっていく。さらには「ほほーう」なんてどう聞いてもまじめじゃない相づちを返してきた。こうなることが予想できたから、言質を取ったのに。
「からかわないって言ったのに」
「いやいや、まだ何も言ってないぞ?」
「もう顔がうるさいよ」
「ひどいこと言うなあ」
先刻までの、荘厳さすら感じさせる師匠の面影はどこにもない。ただの近所の兄ちゃんといった様相だ。
「そうかあ、湊もそういうのが気になるお年ごろかあ。高二だもんなあ」
「いや、おれっていうか……静弥なんだけど」
「静弥が? どうしたんだお前ら、急に色気づいて。七緒に感化されたか?」
心配するようなことを言いながら、ただおもしろがっているだけなのは明白だから不服だ。
彼女のことを勝手に話すのはよくないかなと思ったが、自分の中に抱え切れそうになかった。ふざけているように見えても、一応相談にはちゃんと乗ってくれるという信頼はできる人なので。
「クラスの女子に、静弥に彼女がいないかとか、好きな子がいないか訊いてって言われたんだ。でも静弥、おれが好きとか、好きなタイプはクマみたいな子とかはぐらかして全然まじめに答えてくれなくて。それにおれたち普段も全然そういう話しないから、ちょっと変なのかなって気がしてきて」
「なるほどねえ」
湊が話すのを聞いているうちに幾分治まったようだが、それでもゆるんだ顔つきのままマサさんが「それで湊は?」と続ける。
「え?」
「静弥に好きって言われて、湊は何て答えたんだ?」
想定外の質問に面食らう。いまの話の中で、そんなに重要な部分だったろうか。
「だから、それは静弥のたちの悪い冗談だって。本人もすぐ冗談って言ったし」
「ああ、そうか。そういうことか。じゃあいい、いまのは忘れてくれ」
湊にはよくわからない納得をしているようすは気になったが、深追いはせず「うん」とうなずいた。
「質問に答えてなかったな。俺は高校時代、いないことはなかったよ」
「うわ、やな感じ」
なのにそんな意味深な言い回しが、実にさまになるのだ。湊には到底まねできない。
「何だよ、お前が訊いたことだろ?」
「そうだけど」
「甘酸っぱいなー。青春って感じで」
「マサさんはやっぱりオヤジくさいよ」
「知ってる知ってる」
むくれる湊の機嫌を取るように頭をなでる。
「まあそういうのって巡り合わせもあるからな。変ではないから心配するな。ある日突然、気づくことだってあるだろうさ」
「そういうものかな……」
「そう。神のみぞ知るってやつだ。大丈夫だよ」
マサさんはやっぱり楽しそうにニッと笑った。肩に乗ったフウと顔を見合わせる。心なしか、フウもすこしうなずいたように見えた。マサさんの大丈夫、は本当に大丈夫な気がしてくるからふしぎだった。
***
以来、彼女とは頻繁というわけではないがそれまでと比べると格段に会話をする機会が増えていた。もともと出席番号順では席が近いのもある。
「連絡先の交換を、したいなと思うんだけど」
だが今日は廊下の端っこにまた連れて行かれたので、すぐ静弥関連であることがわかった。
「さすがにそれは、名前を伏せては無理だよ。勝手に教えるわけにもいかないし」
「大丈夫、それはわかってる。わたしが連絡先を交換したいって言ってるのを直接伝えてくれていいから、竹早くんにどうするか、決めてもらいたいの。そこで無理ってことだったら諦めるから。だめかな?」
「でもそれなら、直接本人に言ったほうが……」
できるならまた任を受けるようなことを避けたい、というのが実のところであったりするのだが、迷子の子どものように困った目をして見上げられると、どうにも無碍にできない。
「そうだよね。でもやっぱ、直接断られるのがこわくて……鳴宮くんに頼むのも、迷惑かけてるってわかってる。それこそ、いやなら断ってくれていいよ」
「いやってわけじゃないけど……うまくいく保証できないよ」
「それでもいい」
そこだけは、意志の強い声だった。押しに弱いと言われるかもしれない。けれど湊には、真剣な相手をいい加減にあしらう、なんてことはできない。もう後は了承するしかなかった。
「例の、静弥に好きな子がいるか訊いてって言ってた子の話なんだけど」
前回と同じく、抱え込みたくなかったのでその日の帰り道にすぐ尋ねることにした。
「うん?」
「連絡先、交換したいんだって。寺島さん。去年同じクラスだったろ?」
「ああ……サッカー部のマネージャーの子だよね」
「知ってたんだ」
「湊もそれくらいなら知ってたんじゃない?」
「まあそうだけど。話したことある? おれ、ほとんどなかった」
「まあまあかな」
あまり驚いているようにも見えないので、湊の知らないところでそれなりに会話したことがあったのかもしれない。
「それで、どう?」
「え?」
「連絡先交換してもいいかどうか」
普段は湊と目を合わせつつ話す静弥なのだが、めずらしく進行方向を見たまま「うーん」と思案しているようだった。
「ちょっと考えさせて」
「ああ、うん。そうだよな。ごめん」
「ううん。本当に湊はお人好しだね」
「そうかな……なんかおれたちもう高二なのに、全然そういう話にならないよな」
「そうだね」
しばらく黙って歩き続けた。これは、なんと伝えればよいだろう。断られるなら諦めると言っていたが、静弥の感じからあまり前向きな回答は望めそうにない。目の前で失恋を見るのは多少なりとも心が痛む。
「湊はどう思う?」
そろそろお互いの家が見えてきたところで、静弥が切り出した。
「湊は、その子と僕が付き合ってるところを、想像できる?」
「え――」
足を止めた。静弥は何歩か進んでから足を止めて振り向いた。感情がよく読み取れないけれど、真剣な眼差しで。何も言葉が出てこなくて焦る。
遠くに見える山々に、用水路の水の音。どこかの家からかただよってくる夕ごはんのにおい。夕焼けの優しいオレンジ色。昔から何も変わらない景色に、音、匂い、ひかり。ここには、ふたりの数えきれない記憶しかない。
何も想像できないことに、当惑した。湊が答えあぐねているうちに、静弥は視線を落として「ごめん」とつぶやく。
「変なこと訊いたね。じゃあまた明日」
きびすを返してそのまま帰ってしまった静弥とは反対に、湊はしばらく立ち尽くしていた。そういうことに、まったく考え至っていなかったからだ。
彼女が失恋しないということは、静弥と恋人同士になるという至極単純なことにさえ思い至らなかったことにも驚く。
何かが、身体の中に絡まったように息苦しくなる。いままでに感じたことのない、例えようのない息苦しさだった。陽が落ちて、あたりが暗くなる。
*
ちょっと気まずいな、という湊の懸念とは裏腹に、次の日の朝は静弥のほうから迎えに来た。
今日の天気のように晴れやかに「おはよう湊」と笑う顔は、昨日別れ際に見た表情のほうがうそだったんじゃないかと思う。
植え込みから顔を出したクマに見送られながら、本当にいつもどおり学校への道を歩く。昨日の話を持ち出してよいものか、と湊が窺う前に、静弥のほうから「昨日の話なんだけど」と言った。
「交換してもいいよ」
「え?」
「だから、連絡先。寺島さんに伝えておいて。そうしたらこうやって湊を介さなくてもよくなるし」
「わかった、けど……」
「湊がどうとかじゃなくて、僕がどうしたいかだもんね。昨日は変なこと訊いてごめん」
湊のためらいを先回りして封じたようだった。
「それは、全然いいけど」
「本当? よかった。じゃあよろしく。それで、今日の練習のことなんだけど――」
その後は、部活の話しかしなかった。暗に、この話はもうおしまいと言われているのを感じた。それくらいは、湊にもわかる。静弥とのあいだだから、わかることだ。
考え至っていなかったとはいえ、彼女に協力することになったのは自分だ。だけどどうしてだろう。身体の中心を握り込まれたように息苦しいのが、治らなかった。その正体がわからなくて、気になって仕方がない。
「静弥、連絡先交換していいって」
湊が伝えると、彼女は一瞬泣きそうな顔になった。頬を紅潮させて、でもそれを隠すように手で覆う。
「本当に、本当にありがとう、鳴宮くん」
そうして笑った顔にも、なぜか胸が痛くなった。彼女は、本当に静弥を好きなのだ。決して昨日今日のことではないのだろう。湊が最初に感じたよりもずっと真剣に、切実に。
サッカー部所属ということなら、共通の話題で盛り上がったことがあったのかもしれない。湊はサッカーも野球も大して詳しくない。静弥が話す内容も聞くけれど、気の利いた相づちはできない。決してつまらなくはないし、聞き流すようなこともしていないし、静弥もあまり気にせず話しているようだから深刻に考えたことなんてなかった。
学年トップで、先生にも生徒にも一目置かれていて、弓道部でも一年生から部長を務める。優しくて賢くて、すこし過保護で心配性だけど、ずっと一緒の幼なじみ。湊が迷ったときは、いつも道しるべを作って待っていてくれた。
その静弥が、この子と付き合うことになったとしても、湊にとって大切な存在であることには変わりない。変わりようがない。親友と恋人は、まったくべつのものだから。
なのに、教えたくないと思ってしまった。だからといっていまさらやっぱりいやだと言えるはずもなく、思考を置いてけぼりにしたまま、手は彼女に静弥の連絡先を教えていた。
自分という操縦桿を、ほかの誰かに動かされているような感覚だった。どうしてこんなふうに感じるのかもわからなくて、ただ胸がきりきりする。
***
開きっぱなしの廊下の窓から、遼平がにゅっと顔を出して手を振ってきた。普段接しているときは慣れのせいなのか特別意識することはないのだが、窓枠だとか扉だとかの直線的なものと並ぶと、ふいにでかいなと思うことがある。
「ねー湊、電子辞書貸して。次ライティングなんだけど、忘れてきちゃった」
中身は、昔からそう変わらない。湊も人のことを言えた義理ではないが。教室に入ってきた遼平へ電子辞書を渡した。
「いいけど、うちも四時間目はライティングだからすぐ返せよ」
「げ、俺ら四時間目は古文なんだよね。そっちは静弥に借りに行こうかなあ」
「というか電子辞書自体を忘れるなよ……」
ごめーんと言いながら笑っていた遼平が、何かに気づいて「あれ?」と言う。
「あの窓際の、ひとつ結びの子って湊のクラスの子?」
彼女のことだった。遼平とは接点が見当たらないのに、何かあったのかとぎくりとする。
静弥の連絡先を伝えてから、それなりの日にちが経っていた。もう四月も終わる。彼女とはあれ以降当たり障りのないクラスメイトとしての話しかしないし、静弥も彼女の話題を出すことはなかった。
「そうだけど」
「へー。この前さ、数学の小テスト範囲先に教えてもらえないかなって思って静弥に聞きに行ったんだけど、そしたらあの子と話してて……勉強教えてたのかな? なんか話しかけられそうな雰囲気じゃなかったから、そのまま戻っちゃったんだよね。静弥のクラスの子なのかと思ってた」
「……そうなんだ」
「湊は何か知ってる?」
「いや、――知らない。その話もいま初めて聞いたし」
半分、うそをついた。
「そっかー。辞書ありがと、終わったら返すな」
「うん」
じゃあねーとまた手を振って、遼平が去る。すれ違いで教室に戻ってきた海斗が近づいてきた。
「何だ、遼平のやつ、また何か借りに来たのか?」
「うん、電子辞書」
「あいつも先輩になったっていうのに、そういうところは変わんねーな」
「まあでも、あの大らかなところが遼平のいいところだし……」
そして海斗に借りるとこうしてお小言がセットなので、湊に借りにきているところはある。
「二年なんだぞ、ちゃんと勉強してんのかあいつ」
「――海斗は、もう進路とか考えてるのか?」
「普通、ちょっとくらいは考えるだろ」
と言ったところで予鈴が鳴ったので海斗は自分の席に戻った。
友達と話していた彼女も、自分の席に戻ってきた。湊の位置からは、しろいうなじがよく見える。あの遼平が話しかけられそうな雰囲気じゃなかった、というからには、よっぽど親密そうに見えたのだろうか。
湊の知らないところで、彼女は静弥へのアプローチを続けているということだろう。当たり前だ、湊自身がふたりの仲を取り持ったようなものだから。連絡先さえ交換してしまえば、湊を介する必要はない。
なのにどうして、こんなにも心が落ち着かないのだろう。腹にある傷よりも、ずっと奥深く。そこがどうしようもなく苦しい。
*
きまり悪い心持ちのまま、昼休みになった。いつものように食堂に集まって昼食をとっていたが、先に食べ終わった静弥が「ごめん、今日ちょっと用があるんだ」と席を立った。
「え、何?」
「部長会議?」
「そこは秘密」
何それ! と騒ぐ七緒と遼平を置いて静弥は食堂を出てしまう。
「あやしすぎっしょ。よし、後をつけよう」
「おしきた!」
食べかけだったサンドイッチの残りを遼平が口の中に詰め込んだ。
「バカか、やめとけ」
海斗が呆れて静止する。
「えー、だって気になるじゃーん。それに本当に隠したいならあんな言い方しないよ。ねえ湊?」
「そうかもしれないけど……でも秘密っていうなら、暴こうとするのはよくないんじゃないかな」
「――ふーん。湊もかっちゃんもノリ悪いなあ。行こ、遼平」
「え? 湊何か怒ってる?」
「いや怒ってないけど」
遼平はこちらを気にしながらも七緒と食堂を出て行った。海斗はすでに食べ終わっていたが、そのまま動かなかった。
「海斗は追いかけなくてよかったのか?」
「キョーミねえ。つか、気になってんのはお前のほうだろ」
「べつに、そんなことないけど」
弁当の卵焼きをほおばる。海斗は苛立ったようにひとつ舌打ちをしたが、「次移動だろ、俺先行くわ」とだけ告げて席を立ったのでひとり食堂に取り残された。
気になるかならないかといわれたら、ものすごく気になる。しかし同時にいやな予感もしている。その予感が的中していたらと考えると、いい塩梅で作れたはずの卵焼きの味さえ、わからなくなった。
*
放課後、先を行く海斗を追うように弓道場へ向かっている途中で、遼平と七緒が飛びついてきた。
「湊! やばいよ、俺たちすごいもん見ちゃった! ほんとは昼休みの後すぐ言いに行きたかったんだけど、体育とか移動とかでそれどころじゃなくて!」
「遼平、そわそわしっぱなしでバスケなのにヘディングしてたんだよ」
「だってさあ」
うるせえな、と海斗も振り返り足を止めた。
「お前らちょっと落ち着け」
「そうだよ、何の話?」
ふたりは声をそろえて「静弥!」と答える。
「あの後すぐ見失っちゃったから、七緒がいろんな人に聞きこんで静弥を追ったんだけど……あの、辞書借りたときに話してた子いたじゃん」
もうそれだけで、感じたいやな予感が的中していたのがわかった。これ以上聞きたくなかった。
「あの子と静弥、ふたりで勉強してたんだよ! 図書室で!」
「湊、何か聞いてない?」
午前に遼平に知らないと答えてしまった手前、まさか自分が取り持ちましたとも言えない。「いや……」と首を振る。
「いやあ、まさか静弥がねえ」
「めちゃくちゃいい雰囲気だったんだって!」
「お前ら、くだらねーことにうつつ抜かしてんじゃねーよ」
「くだらなくないよ、一大事だよ? オレたち高校生なんだから、恋に部活に一生懸命にならなきゃだめっしょ!」
七緒の力説に、海斗は「マジでくだらねー」と毒づきながら先に行ってしまう。
「そういえば湊も、この前女子に呼び出されてたよね? あれどうだったの?」
「湊も?! そうだよなあ、ふたりともかっこいいもん」
「なんでもなかったよ。大したことじゃない」
こうなってしまってはもう絶対に他言できないのに、これ以上追及されたらどうごまかせばいいのか。いまここでその話を持ち出してくる七緒に、しらを切りとおせる自信なんてまったくない。
「なーに騒いでんのー?」
後ろからやって来ていたらしい花沢に声をかけられた。妹尾や白菊も一緒にいる。
「メッハー、御三方。あ、白菊さんって静弥と同じクラスだったよね?」
「ええ」
「最近、静弥が違うクラスの女子に勉強教えてるってほんと?」
「うわ、七緒ストレート……」
矛先が逸れたので安堵しかけたのに、直球で聞き出す七緒に遼平と同じく戦慄する。反対に花沢はわあっと顔を輝かせた。やはり女子は、そういう話は気になるらしい。
「そうなの? だれだれ?」
「そういえば、たまに見かけますわね。たしか四組の……寺島さん」
「え、寺島? そうなんだー」
「花沢さん、知ってるの?」
「話したことくらいはあるよ。でもサッカー部のマネでしょ、意外かも。一年のとき同クラだったっけ」
交友関係の広い花沢らしかった。同じ女子でも興味があるともないとも見えない表情のままだった妹尾が、「でも竹早って、サッカー好きなんじゃなかったっけ?」と言う。遼平も七緒も、サッカー部というキーワードに納得したようだった。
「うん、静弥はサッカー好きだね」
「ははーん、なるほどねえ」
「湊、ほんとに静弥から何にも聞いてない?」
「えっと……」
いっぺんに五人の視線を集めてしまい何も言えない湊の背中から、「おーい」と声がした。マサさんだ。振り向くと、弓道場の前からこちらを見ていた。
「お前ら、そんなところで何やってんだ? 一年生はもう準備始めてるぞー」
率直に、助かったという気持ちでいっぱいだった。みんながやばいやばい、と言いながら足早に弓道場へ入っていく。湊は、最後に足を踏み入れた。それを見守っていたマサさんが「湊」と呼び止める。
「何?」
「今夜、来れるか?」
夜多の森弓道場に、ということだとは思うが、わざわざ聞いてくるのはめずらしかった。普段は湊から行っていいか尋ねているので。
「行けるけど……」
「よし、待ってるから。じゃあいまは、さっさと着替えてこい」
なんで? と聞こうとしても、マサさんはウインクするだけで理由は教えてくれなかった。
*
言われたとおり夜は夜多神社へ向かった。フウは、今日は見当たらない。矢を射終わったマサさんは湊に向かい合って座ると、「悩める青少年の気配を感じてな」と言った。
「べつに、悩みなんてないけど」
本当は心当たりがあるのにそう返す湊へ手を伸ばして、指で眉間をつつく。
「悩みのないやつがこんなところにシワ作るか? 今日ずっとこわい顔してたぞ」
それでも湊は自分の中にひっかかっているものの正体がわからないので口をつぐんでしまう。
「じゃあ話題を変えよう。今日はほかの奴らもそわそわしっぱなしだったけど、何かあったのか?」
それじゃあ話題が変わってないんだよな、と思いつつも「静弥が最近女子と仲良くしてるんだって」と答えた。
「なるほど。青春してるなあ……ん、何かこの前もそんな話をしたな?」
「うん。その子、あのとき話した、静弥に好きな子がいないかどうか訊いてきた子なんだ」
「何だ、うまくいってるのか?」
「そうみたい。ていうかあの後、その子に静弥と連絡先交換したいって言われて、静弥もいいよって言ったから、おれが教えたんだよ。でもそれを言える雰囲気じゃなくて、みんなには言えなくて」
「へえ。それでお前だけテンションが違ったのか」
「おれだけじゃなくて、海斗も興味ないって言ってるけど」
「あいつはまあ……七緒の手前、興味を持たないようにしてるんだろ。でも湊は、みんなとはべつのことが気になってる感じだな」
図星だった。それも筒抜けなのだろう、マサさんがにやりと笑う。本当にこの師匠は、どこまでお見通しなのだろうか。
「――おれ、やな奴なんだ」
「どうした、藪から棒に」
もうずっと、苦しいままだ。吐露せずにはいられなかった。
「うまく言えないんだけど、そう思う。何ていうか、いやな気持ちになるんだ。最初はぜんぜん、そんなこと思ってなかったはずなのに。みんながその子の話をしてたの、すごく耳をふさぎたかった。部活中も帰るときも静弥の顔、まともに見られなかったし。いやなことばっかり考えてた。ふつう、親友に彼女ができそうってなったら、もっと祝うっていうか……よかったなって言うはずなのに。おれ、ぜんぜんそういうふうに思えなくて」
うつむきながら湊がつっかえつっかえ話すのを、マサさんは黙って聞いていた。話し終わった後、そうか、と静かに返す。
「湊は、その子に静弥を取られたくないんだな」
「――へ?」
顔を上げた。マサさんはまったく深刻な顔はしておらず、むしろ楽しそうに笑っている。
「俺に言えるのはそれだけだ。後は、自分で考えろ」
「考えろ、って……」
言われた言葉の意味も咀嚼しかねているのに、マサさんはさくっと立ち上がり「そろそろ帰るか、片付けよう」と言った。
片付けを手伝っている間も、マサさんと別れて自転車で坂を下っている間もずっと、取られたくない、という言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。静弥を、取られたくない。
信号で止まる。気づけば駅前だった。歩道橋が見える。事故の直後はここを通るたび、傷が疼く気がしていた。吐く息が冷たくなるような、足元がおぼつかなくなるような。だけどそれも時が癒しつつある。いまは、しっかり呼吸もできる。足元を踏みしめられる。
時間、だけじゃない。静弥の顔が浮かぶ。去年の、県大会予選後のこと。『湊にもう僕は必要ない』と言われた。『もう何もしてやれない』、とも。
腹が立った。勝手に決めるな、と怒った。静弥がいたからいまの自分がある。静弥だけじゃなくて、自分を取りまくすべての人物が誰かひとりでも欠けていたら、いまこうしてこの場に立っていない。
だけど、やっぱり静弥は特別だ。弓と出会う前から、ずっと一緒の幼なじみ。賢くて優しくて、過保護で心配性。だけど過保護で心配性なのは、湊に対してだけ。いつも湊を優先して、必死に守ろうとしていて。そして最近はもう一時期の、過干渉とまで感じるような極端な態度は見せなくなった。
静弥を取られたくない。そんなこと、いままでこれっぽっちも考えたことがなかった。
だけど言葉にされるとあまりにもしっくりきて、自分の中に絡みついていたものがしゅるしゅる解けていくのを感じた。静弥が、自分を優先してくれるのを当たり前だと思っていた。何にも疑っていなかった。それに驚いた。
湊からは、早気になって弓と距離を取ろうとしたときに、静弥からも同じく距離を取ろうとしたのに。だけど結局静弥は湊を追ってきて、いまも一緒にいる。
この先も一緒にいたいと、願っている。進路や、将来の選択で離れる未来はあるかもしれない。いまはまだ、それについてはわからないけれど、そのときの別離にはきっと納得ができる。静弥と、自分がそれぞれ選ぶ道が異なっていても、交わらなくても。
だけどいまは、違う。ぜんぜん納得ができない。
だって、好きだと言ったじゃないか。好きなのは、湊だと静弥は言った。冗談だとごまかされたけれど、あのとき、そう言われたことに対してはまったく驚きはなかった。傲慢なことに、そんなの当たり前だろとさえ思っていた。
みんなは、もう付き合ってるんじゃないかと話していたが、そうは思えなかった。さすがにそれなら、静弥は自分に伝えるはずだ。根拠はないけれど、湊にはわかる。だがこのままでは時間の問題かもしれない。
もし、本当にふたりが恋人同士になってしまったら。朝の登校だって、昼休みだって、部活後の下校時だって、ほかの場面だって、きっと彼女が優先されるようになる。
だって静弥は、ひとりしかいないから。
いくら恋人と親友はべつで、静弥が同じくらいどちらも大切に想ったとしても、身体はひとつだから、湊とだけいることは無理だ。
そこまで考えてようやく、自分でも驚くほど、強烈にいやだと思った。
静弥が『想像できる?』と言っていたのは、こういうことだったのだろうか。だとしたらなんて浅はかだったんだろう。
取られたくない、なんて感情、それこそあまりにも幼稚だ。子どものおもちゃとはわけが違う。それでも伝えたかった。伝えなければならないと思った。親友に対して懐く情とは、確実にちがうものが湊の中にあると思った。
けれど静弥がそれを、困る、自分はもうあの子が好きなのだと言うのなら、受け入れるべきだとも思う。親友だから。大切な存在だから。それはもう、伝えた後の話だ。
***
次の日が土曜日で助かった。来週半ばからは合宿もあるし、それまでに解決したかった。
話したいことがある、と連絡を取ったら静弥はすんなり出てきてくれた。近所の公園の、木の下で待ち合わせた。
「何? 話って」
クマも連れて行こうか、と言われたのを断ったので、静弥もこれはただごとではないと感じていたようだった。それでも極力軽く尋ねられる。
「あの子と、付き合うのか?」
単刀直入に訊いた。静弥がすこし目を見張る。
「さあ、わかんないよ。まだべつに告白らしいものもされてないし」
「じゃあ告白されたらどうするんだよ」
「――どうして湊が、いまさらそんなことを聞くのさ」
不満げな声も当然だと思う。でも怯まなかった。
「ああ、おれだって、勝手なこと言ってるのはわかってるよ。でも伝えたいから言う。おれ、静弥を取られたくない」
一直線に、静弥を見つめる。この公園にも、数え切れないほどの思い出がある。春の日差しは明るくて、木洩れ日が目に心地よい。
「静弥が好きだ。だからあの子と付き合わないでくれ。おれがいやなんだ」
木の葉がさわさわこすれる音がする。そんな力もないはずなのに、まるでそのやわらかい風に押されたように、静弥が一歩あとじさった。
「そ、んなこと――言われても……そもそも、湊が取り持ったんじゃないか」
「後悔してる。何も考えてなかったって。だって静弥がおれ以外を優先するなんて考えたことなかったから」
言葉が出ないようだった。静弥にしてはだいぶ動揺しているらしい。
「でも、おれは静弥が大事だから、静弥が本当にあの子がいいっていうならそれは受け入れる。言ってただろ、自分がどうしたいかって。おれは、いやだって言いたかった。静弥は、どうしたい?」
「どう、って……湊、自分がおかしなことを言ってるってわかってる?」
「わかってる」
「わかってないよ、僕にはたちの悪い冗談って、言ったのに」
「それは謝るけど、静弥も冗談だってごまかしたろ。いま、おれが冗談でこんなこと言ってると思うのか?」
湊の問いにぐっとくちびるを噛む。湊がこんな冗談を言わないことを、静弥自身が誰よりもわかっているはずだった。
「静弥のいちばんがおれじゃないのが、いやだ」
「――ッ、そんなの、勝手だよ。子どもじゃないんだから」
「だから静弥はどうしたいのかって聞いてるんだろ。おれは、いま、静弥がほかの子と一緒にいるのがいやだ。それがなんでか考えて――静弥が好きだって気づいた。自分でもバカだって思うよ。静弥に誰か特別な人ができそうになって、ようやく気づくなんて」
手遅れになる前に、伝えたかった。そうしないと一生後悔する。わがままだとわかっていても。
「静弥」
「だめだよ、」
首を振る静弥の表情はずいぶんと幼く無防備に見えた。言葉の意味を受け止めきれないような、拒絶というよりは困惑しきっている。
「どうして?」
「とにかく、だめだ」
「ちゃんと言ってくれなきゃわからない」
「だいたい、一方的すぎる」
「それはわかってる」
「わかってないよ」
「わかってないのは、静弥のほうだろ?」
語気が強まる。ずっと、ただ戸惑うように目線をさまよわせていた静弥が、表情を険しくして湊を見た。
「わからないよ、急にそんなこと言われても。僕は、ずっと――、」
その先は言葉にできなかったのか、怒っているのか泣きたいのかわからない表情のまま、くちびるを戦慄かせただけで静弥は背を向けた。引き留めようとしたら「ひとりにしてほしい」と言われたので、伸ばした手が空を切る。
「静弥、」
もう一度名前を呼んだが、静弥は振り返らずに公園から出て行った。混乱させるとは思った。自分勝手だとも。それでも、なんだよ、と思う。
だめだ、なんて言うくらいならもっと隠せよ。あんなに耳を赤くして、ばれないとでも思っているのか。

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