あのときあたしは、生まれて初めて『運命』の存在を強く信じたのだった。
高校生になったら、運命的な出会いがあって、その人と恋をして……なんて夢を見ていた入学式。新入生代表の挨拶をしていた成績一位の男子よりも、複数の女子を引き連れていた男子よりも、目を引いたのはすらりと背の高い、同じクラスになった女の子だった。
長い手足に涼しげな目元、小さな顔。とりわけあごから首元にかけてのラインはここしかないというバランスで切り出されたように美しく、彼女がショートヘアであることに感謝したくなる。上から糸で吊られているのではないかと思うほど、すっと背筋が伸びた立ち姿は気高さすら感じた。
こんなにかっこいい女の子が、本当にいるんだ。漫画やアニメの世界ではなく。
自己紹介で「妹尾梨可」と名乗ったその女の子に、あたしは早く話しかけたくて仕方がなかった。
「妹尾さん」
オリエンテーションが終わり、ざわつく教室の中で真っ先に彼女の席へ向かった。周りが遠まきに気にしていることもわかっていたが、こういうことは正面突破に限る。まだ席に着いていた妹尾さんが、ゆっくりと視線を上げてこちらを見る。
「えっと……花沢さん、だよね?」
穏やかな笑みを浮かべた口元から、自分の名前が呼ばれる。それだけで鞄の持ち手を握った手に力が入った。
「嬉しい、覚えててくれたんだ。よろしくね」
「こちらこそよろしく」
語尾が伸びない、小気味良い声も好きだと思った。緊張のせいで自分の鼓動の音が大きく聞こえる。それよりもこの声を聞きたいのに。
「あのさ、部活、何にするかもう決めてる?」
先生の話では、入学式後からすぐさかんな勧誘活動が始まり、昇降口前は先輩たちが待ち構えているらしい。決まっていても決まっていなくても、どちらでもよかった。決まっていればそれについていくし、決まっていなければ一緒に見て回ろうと言うだけだ。そして今日のうちに、連絡先を交換しておきたい。
妹尾さんは「ああ」と言って立ち上がる。その所作も澱みない。同い年の女の子を、こんなふうに見上げるのは初めてだった。やっぱりこの身長だし、バレーやバスケ? 陸上競技も似合うかも……。実は天文部に興味があるとかでも、ギャップを感じて素敵かもしれない。
「決まってるよ」
「なになに?」
「弓道部」
「えっ」
我ながら大きい声が出た。妹尾さんも驚いたように目を丸くする。高揚する傍ら、そういう表情もするんだ、とどこかで考えていた。
「あたし、中学のとき弓道部だった!」
興奮のまま続けると、妹尾さんは何度か目を瞬いてからやわらかく笑う。先刻までの緊張とはまた違った鼓動が身体中を駆け巡っていた。
「そうなんだ、奇遇だね」
「ね、ほんと! 妹尾さんも弓道部だったの?」
「正確に言えば、弓道部ではなかったんだ。近所の弓道場に通ってた」
「なにそれ、かっこいい……」
思ったことをそのまま口にすると、妹尾さんはそうかな? と今度は困ったように笑う。また新たに見せてもらった表情に、明確にときめきを覚えた。
しかし先ほどちらりと目を通した部活一覧のことを思い出す。
「でも風舞って、弓道部あったっけ?」
あれば、目には留まったはずだ。正直なところ、高校まで弓を続けるかどうかは決めかねていた。大した実績があるわけでもない。部内の選抜にも通らず、万年補欠。大会経験なし。たぶん、袴はママがどこかにしまい込んでいた気がする。
風舞の弓道部は長らく指導者不在を理由として実質廃部状態だったらしい。それが今年から高段者の先生が赴任することになり、再始動する予定。という旨のことを、妹尾さんはてきぱきと説明してくれた。春休み中に確認したという行動力にも好感しかない。
「風舞を選んだのはたまたまだけど、習っていた先生からその話を聞いてね。同じ道場の子と、このあと弓道場を見に行く予定だったんだ」
「それ、あたしも行ってもいいかな?」
「もちろん。断る理由がない」
言葉の選び方ひとつまでかっこいい。
「渡り廊下で待ち合わせてるんだ。行こう、花沢さん」
並んで廊下を歩いていても、それなりの数の女子がすれ違いざまに妹尾さんへ視線をやるのがわかった。改めて、正面突破をしてよかった。話しかけなかったら、弓道部の存在も知らないまませっかくの共通点をふいにするところだった。
「あたしのこと、ゆうなでいいよ」
「そう? ありがとう。ゆうな、かわいい名前だね」
「えぇ~? そんなそんな……」
いまこの瞬間ほど、自分の名前に感謝したことはない。パパ、最近は冷たくしてたけどこの名前にしてくれてありがとう。今日はチャンネル権譲ってあげます。
「社交辞令じゃないよ。だから覚えてたんだ」
爽やかに笑って、そんなことを言われてしまったら、女子同士であるにも関わらず顔が熱くなる。もはや自分でも緊張でどきどきしているのか、ときめきでどきどきしているのかがわからなかった。
こんな女の子がいるんだ、本当に。
「せ、妹尾さんはみんなからなんて呼ばれてる? 梨可ちゃんとか?」
「みんなそのまま、妹尾って呼んでる。私としても、下の名前よりそっちのほうがしっくりくるかな」
「そっか。あたしもそう呼んでいい?」
「もちろんだよ。あ、あそこ。乃愛! 待たせてごめん」
のあ、と呼ばれた女子が振り返る。艶やかな黒髪に陶器のような白い肌、取り巻く雰囲気から上品な美少女に目を見張ってしまう。
「いえ、わたくしもいま来たところですわ」
「それはよかった」
「そちらの方は?」
「同じクラスの子。弓道経験者なんだって」
自分の周りにはいない立ち振る舞いの美少女は、まあ、と口元に手を添える仕草も品があって美しかった。なのにどこかかわいらしい。
ぼうっと見惚れるところだったが、妹尾に話を向けられて正気に戻る。
「初めまして、花沢ゆうなです。よろしくね」
「こちらこそ、初めまして。白菊乃愛と申します。以後お見知り置きを」
ぺこりときれいにお辞儀をされて、こちらも慌てて同じように頭を下げた。お見知り置きを、なんて言葉は初めて言われた。
「乃愛はこんな感じの子なんだ。ちょっとめずらしいかもだけど、すぐに慣れるよ」
「もう、妹尾ったら。わたくしは至ってスタンダードですのよ」
「な? おもしろい子だろ?」
気心が通じる間柄であることが、そのやりとりだけでもよくわかった。ほっこりして顔がゆるんでしまう。
「いやあ、それよりも美少女でびっくりしちゃった。ふたり並ぶと歌劇団のトップスターと娘役みたい」
「まあ……ありがとうございます」
白菊さんは恥ずかしそうに目を伏せた。美少女は、ぽっと頬を染める仕草も愛らしい。こんなにかわいい子とも知り合えるなんて、弓やっててよかったなあと考えてしまう。
「ゆうなもかわいらしいと思うけど」
なんて、妹尾が真面目なトーンでそんなことを言うものだから、名前のときの比じゃないくらい顔が熱くなった。
「えええ……! 妹尾って何座? 今日の星占い、誰かを褒めると吉、とか言われた?」
「蠍座だけど……本心だよ。それに星占いはあんまり気にしない」
「そ、うなんだ……」
蠍座、ちょっと意外だった。いまのところ、毒があるようにはまったく見えないから。本人は気にしないようだが、明日から一緒に順位を確認しておこうと決める。
「妹尾、だから言ったでしょう?」
「ああ。乃愛の言うとおりだったね」
「え、なに? なにが?」
ふふ、とまた口元に手を添えて白菊さんは嬉しそうに笑った。意図がつかめず妹尾を見上げると、照れくさそうに首元をさすっている。改めて、本当にきれいな首筋だ。
「私、こんな感じだから最初はわりと遠まきにされることが多くて。初日、乃愛以外に話せる子がいなかったらどうしようって言ってたんだ」
「わたくしは始めから心配なんてしておりませんでしたけどね」
「だからゆうなが話しかけてくれたの、嬉しかったんだよ。ありがとう」
あたしの心臓は相変わらずうるさく鳴っていて、微笑むふたりを前にもごもごと「どういたしまして……」と答えるだけで精一杯だった。
高校生になったら、運命的な出会いがあって、その人と恋をして――というのは少女漫画に影響された妄想だったはずなのに。
桜の花びらが舞う渡り廊下。漫画の中から出てきたようなかっこいい女の子と、おしとやかなお嬢様。新設の弓道部。
あたしの高校生活は、きっと想像以上に楽しくなるだろう。三人で弓道場に向かいながら、ただその予感にわくわくしていた。
fin.

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