kiss♡kiss♡kiss♡ 【マサ静】

他人の気配を感じて目を覚ました。シーツの色が違う。壁の色も、部屋の明るさも。なにより自身を包む匂いが違う。覚醒したばかりのぼんやりした頭でしばらく考えて、静弥ははっとして起き上がった。
部屋のあるじはキッチンにいるのだろう。ヘッドボードに置かれている眼鏡をかけて、ベッドから降りると軽くふらついた。
「たきがわさん……っ」
声を発して、掠れているのにもぎくりとする。昨晩は、とんでもなく乱れて叫ぶように喘いで、疲れ果てるように寝落ちた、と思う。眠ったあたりの記憶は曖昧だ。なのにそれまでの行為の記憶は鮮明で、絶望的な気持ちになる。いろいろと、到底思い出したくもないようなことを口走って……せめて夢だったかもという余地があればよかったかもしれないが、下半身のだるさも喉の違和感もあれが現実だったと思い知らせてくる。
「おはよう、よく眠れたか?」
滝川は朝食の準備をしながら、振り返らずに言った。フライパンで何かが焼けている芳しい香りがする。
「あの……、僕……」
「ああ、大丈夫だよ。わかってるから」
なにから弁解したものかと言い淀んだのに、すべて承知しているというような返事をされて逆に戸惑った。
「昨日の静弥がものすごく甘えんぼで、エッチなことたくさん言ってくれてたのをからかったりなんかしないから」
コンロの火を切って、滝川が振り返る。その意地の悪い笑みといったら! 羞恥と憤りで顔が熱くなる。
「最低……っ、いますぐ記憶から抹消してください」
怒りを込めて睨め付けたが、滝川は悪びれる様子もなくむしろ上機嫌に見える。
「それは無理な相談かなあ。かわいいこといっぱい言ってくれたのに、忘れるなんてもったいない」
「もう二度と言いませんから……!」
「わかったわかった、怒るなよ。卵大きいほうあげるからさ、朝飯にしよう。顔洗ってこいよ」
滝川は笑って、再び料理に戻った。
静弥は釈然としないまま洗面所に向かう。眼鏡を外す前に鏡を見たら、目元がうっすら赤くなっているのに気づいた。腫れるまではしていないが、少し充血している。改めて昨晩のことは夢ではなく、地続きでいまに至っているのだと思い知る。
こうして泊まるのは、久しぶりだった。そもそも神職の仕事は土日休みとは無縁で、朝は早い。しかし平日と土曜日は部活の指導もしているため、その兼ね合いとしてごくたまに日曜日でも家を出るのが遅い日がある。うちが弱小神社だから融通が効くんだよ、と滝川は笑っていたが、貴重な時間を捻出してもらっていることがわからないほど、ばかじゃない。
だからほんの少しだけ気持ちが盛り上がってしまっただけ、と自分自身に言い聞かせてみるが、好きだと甘えて、もっととねだって、必死にしがみついてキスをして、それから……などの言動が消えることもない。
「あんなの、ありえない……」
静弥は小さくつぶやいて、顔を洗い始めた。冷たい水で意識がはっきりしてくるにつれ、ますます昨晩の自分が信じられなくなる。我に返ると、この場でじたばたと足踏みしたいほどはずかしい。
洗面所から戻ると、テーブルには朝食が並んでおり、滝川はコーヒーを飲んでいた。卵が大きいほう、と言っていたがたしかにこちら側に置かれた皿のハムエッグのほうが大きめのようだった。ハムも3枚ついている。向こうは1枚なので、4枚あるなら均等に分ければいいのにと思ったが黙っていた。
「そっち座れよ」
促されるまま向かい側に腰掛けて、不承不承ながら「いただきます」と両手を合わせた。
「ちゃんと手を合わせてくれるんだ」
「……それがどうしたんですか」
「いや、怒ってるのに律儀に言ってくれるから嬉しいなって」
「……べつに、普通です」
そちらを見ないようにしながらもぐもぐと口を動かした。しかし滝川はやに下がっているのであろう雰囲気や、ふっと笑う声を隠そうともしない。
「機嫌直せよ」
「……」
「静弥~」
滝川は困ったように笑いながら、静弥の頭をぐしゃぐしゃなでてきた。
「食べてるときにやめてくれませんか」
「じゃあ終わったらいいのか?」
「そういう意味じゃない」
半目で睨んだけれど、特に効果がないこともわかっている。「こわいこわい」なんて笑って、手は離れていった。
「滝川さんはずるい」
「なんだよ急に」
「僕がなんでも思い通りになると思って」
「そんなこと思うわけがない」
「そうやって余裕ぶるところも嫌い」
「ああ、傷ついた」
滝川は大げさに言うが、静弥を責めたりはしない。万事がこんな調子なのでいつも正解がわからなくなる。静弥がどんなにつれない態度を取っても決して怒ることもないし、鷹揚に構えている。しかしふたりきりのとき――とりわけ夜――は、意地が悪いことを言ったりして楽しんでいる節がある。それが応酬なのか意趣返しなのか、はたまたもともとそういう気質なのか、静弥は知らない。
ただ、それ以上に甘やかしてかわいがろうともしてくるので、結局のところどちらが優位なのかさっぱりわからないのだった。
「……ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした。いいよ、食器そのままで。まとめて夜洗うから」
「そうですか……ありがとうございます」
「うん。俺そろそろ出るんだけど、静弥はどうする? シャワー浴びてから帰る?」
「いえ、今日はこのまま帰ります」
「そっか。家の近くまでは送るよ。歯磨いといで」
「……はい」
ちょっかいをかけられることもなく、お互いに淡々と身支度を済ませた。やっぱり正解がわからない。次はいつ、と尋ねるのも憚られる。次、を期待していると思われたくもないし、でも期待していないのかと言われれば、それも違う。ほぼ毎日顔は合わせているけれど、この部屋でのことは外で取り返せない。
もやもや考えながら玄関で靴を履いていると、急に後ろから抱きしめられた。
「静弥、」
「……っ、ん……っ」
耳元で囁かれて、つい吐息が洩れた。からかわれるかと身構えたが、なにも言われずただぎゅうぎゅう拘束される。
「な、んですか……?」
「ちゃんと仲直りしておきたい」
「……っ、べつにもう、怒ってないですけど……」
「そう? じゃあこっち向いて」
少しだけ腕の力が緩まったので、ゆっくりと振り向いた。見上げた顔の、表情が想定していたのと違ったので身がすくんだ。瞳の奥にありありと情慾が揺らめいていて、朝見たのは初めてだったから。
気づいているのかいないのか、滝川は静弥の腰を抱き寄せてキスをする。最初はそっとやさしく。次第に舌でくちびるをなぞり、こじ開け、啜って絡め合う。
「ふぁ……っ、ぅ……っ」
覆い被さる身体を押し返そうとしたがびくともしない。三和土にいるぶんいつもより少しだけ距離があって、背伸びしたつま先がじんと痺れた。
「ん……、ん……っ」
続けられると焦りも痺れもなにもかも、陶然にすり替わりこちらからも舌を伸ばして応える。もうしばらく、こんなキスはできない。歯みがき粉の味だって、口の中から消えてしまう。今夜この部屋に戻ったとき、この人はどんな顔をして食器を片付けるのだろうか。
「ぁ……っ」
ようやく口づけを解かれて、滴るように糸を引いた唾液がぷつりと切れる。
「仲直りのキスってことで」
そう言って笑う顔はもう、いつもの調子だった。さっきの瞳のほうが見間違いだったんじゃないかというくらい。
「もう……。時間、大丈夫なんですか?」
「うん、平気だよ」
滝川は静弥の身体を抱きしめながら言う。どこまで本当なのかは知らない。嘘つきなひと。
「次、まだはっきり約束できなくて悪いけどまた相談しような」
だけど続いた言葉は本当で、望んでいたものを言い当てられたのが悔しくて嬉しかった。べつに、だとかいつでも、だとか強がることもできず「はい」とだけ小さくいらえを返す。行き場のなかった手をそっと背中に回した。
「毎日顔は合わせるけど、部活中は部長の顔しかしてくれないからなぁ」
「そんなの、当然でしょう……」
「わかってるよ。そのぶん、いま見せてくれる顔が特別だし」
頰をなでて見つめられる。自分がどういう顔をしているのか、その瞳に映るのがこわくて目を逸らした。やさしい手つき。この手にひらかれて、暴かれて、愛しまれる悦びを身体が知っている。
もう一度くちびるが重なった。そっとふれて、すぐに離れる。頬をくるんでいた両手がふと離れそうになるのを押し留めるように、自分の手を重ねた。
「待ってます……」
声がふるえたのは、まだ喉の調子がよくないせいだ。
「その、……したくない、わけではないので――」
次は、絶対に昨日のようにはならないと思いたいけれど。歯切れ悪く言ってから見上げたあちらは、困ったように眉を寄せて笑っていた。
「そんなふうに言われると、朝から元気になっちゃうだろ」
「……? それは、いいことなのでは」
「――困ったな、たまに本気でわかってないんだから」
静弥の戸惑いをよそに、ぎゅう、ときつく抱きしめられる。
「滝川さん、痛いです……」
「悪い。ちょっと待って」
そう言うと、深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしているようだった。そんなにまずいことを言ったのだろうか? わからないからじわじわと居たたまれなくなってくる。
「俺だって、早くまたしたいよ」
「……っ」
あけすけなのに、熱っぽく言われるとどうしたらいいのかと惑うことしかできない。耳から直接熱を注がれるような感覚に、よろこぶなというほうが無理だ。
「かわいい」
「……っ、滝川さんのばか……」
「照れてるところもかわいいな、好きだよ」
「僕は好きじゃないです」
「嘘つきめ」
最後にまたきつく抱きしめてから、滝川は腕を離した。
「出る前に静弥からキスしてほしいな」
「なんでですか」
「いってらっしゃいのキス」
「……嫌です」
「じゃあいってきますのチューは?」
「だから、それも……」
「だめ? どうしても?」
どうしても! と即座に突っぱねることができればどんなによかっただろう。わざとらしく悲しげに言っていることもわかるのに、ここでためらうからだめなのに。
「……今日だけですから」
背伸びをして、頬にちゅっと軽く口付けた。すぐ背中を向けて、どんな顔をされるかは見ないことにする。
「ありがとう。じゃあ出ようか」
茶化してほしくないときはしてくるのに、こっちがはずかしさでいっぱいで、茶化してうやむやにしてほしいときほど純粋に喜んでくるのもずるい。
「先に出てな。戸締りしたらすぐ行く」
「……はい」
まだ車があるんだった。なのにやっぱり自分で帰りますとも言い出せないのだから、どうしようもないなと思う。
戸を開けて外に出る。朝の空気は冷えているのに、「次」という期待だけが胸の内でいつまでも熱かった。

fin.

230529
Rつかない話では未だかつてなくイチャイチャしてるのでは…?と思います。アニメ一期の滝川さんはミステリアスな存在であることが意識的に描かれていましたが、はじまりやつながりを経てわりと等身大の若者感が強まったのでそのあたりを意識して書いてます。昨晩、いったいどんなことがあったんでしょうね!!

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!