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もしかして、記憶力がいいのかも。
気づいたのは小学校の高学年くらいだ。大きなきっかけがあったわけじゃない。家族たちの些細な会話。クラスメイトの名前。隣の席の子の誕生日。もらったプレゼントの中身やその送り主。一生懸命覚えようとしなくても、自ずと記憶にとどまっている。
当たり前だと思っていたが、どうやらそうではないようだなというのを、周りを見ていていつのまにか。
忘れてしまいたいことも含めて。
「海斗と七緒は明日から甲子園だよね?」
「そうそう。紫紺の優勝旗、持って帰ってくるからさ」
「しこん……?」
「あれって赤じゃなかった?」
「お、静弥でも知らないネタだった? 深紅の優勝旗は夏だけで、春は紫みたいな、紺みたいな色だから紫紺」
遼平と静弥の「へえー」「さすが七緒」という感嘆の声を受け止めていたら、横から海斗が「つーか、」と入ってくる。
「行くのは明後日だし、観るだけだろうが」
「それは言わないお約束っしょ」
矢取りから戻ってきた湊も「何の話?」と加わり、いまから野球部に?! とか、甲子園の土っておみやげで買えるんだってーとかの雑談をしながら片づけをした。
高校二年生の三学期も昨日で終わり、相も変わらず。おととし再始動した風舞高校弓道部は、来月で三年目に突入する。また新しい後輩も増えるだろうが、最終学年がもうすぐ始まる、という実感はまだまだ薄い。
春休みもぼちぼちと練習の予定があるが、七緒と海斗は少しお休みだ。二泊三日で、関西へ行くことになっている。「せっかくいまいい調子なのに」とぼやいていた海斗だったが、マサさんから直々に「数日あいてガタガタになるような稽古はしてないだろ」と一言もらえば、すぐ何も言わなくなった。これも、相変わらず。
もとはといえば、定期的に実施されている如月家と小野木家の旅行計画が発端だった。七緒の妹、やえの高校合格祝いで、本人がUSJに行きたいと希望した。そこでせっかくこの時期に関西に行くなら高校野球を観に行きたい、と七緒が進言したところ、その近辺に住んでいる曾祖母にも会いに行こうという話になったのだ。
曾祖母の家は、幼いころに数度訪れた。甲子園球場まで徒歩十分足らずという、いまとなってはなんともうらやましい立地だ。
「ひいばあちゃんって、俺会ったことないな」
「めずらしいのかもね。すっごい元気な人でさぁ」
本日の練習も無事終わり、更衣室で着替えつつ遼平としゃべる。 もう九十近い(超えてるんだったか?)の曽祖母は、いまでも自分でほとんどの家事をこなし、多種多様な趣味を楽しみながら暮らしている、と聞いている。最後に会ったのは小学校の低学年かそこらだが、当時の記憶でも関西弁のパワフルなおばあちゃんだった。
真夏で、日差しが強くて、甲子園球場だけでなく近くに海もあって、親戚の子どもたちが集まっていろいろと遊んだものだ。
「おばけが出る部屋があるんだよ。ね、かっちゃん」
「は? 覚えてねーし」
「そう? 親戚の子らでかくれんぼしたとき、オレがそこに隠れようって言ったのにかっちゃんはやだやだーってべそかいちゃって、」
「忘れたっつってんだろ!」
焦って言葉を被せる海斗に、覚えてるじゃん、と後輩を含めた周りが笑う。
春めいた、やわらかな空気だった。なんかいいな、と思う。うまく言葉にはできないけれど、この場にいると時たま感じる。未来永劫とまでは言わなくても、この瞬間のことを五年後や十年後も覚えていられたらいいのになと。
「あ、ごめーん。オレ先に行くね」
「なんかあったー?」
「女の子たちからちょっとねー」
極力、軽く返したので遼平の返事も「春休みなのにすごいなー」だけだった。他の面々にも「お疲れ」「また来週」と挨拶をし、更衣室から出る。
「さて、と」
弓道場を出てから、少しだけ気を引き締めた。実のところ、目下の悩みの種がこれだったりする。〝七緒ファンクラブ〟は中学のころから存在しているが、近ごろ少しだけ困ったことになっている。ファンクラブ自体七緒自らが作ったわけでもないし、細かにルールを制定したこともない。いくつか「弓道の試合を観るときはこうしてね」とか「テスト期間中は学校以外で遊んだりするのはやめようね」とかのお願いごとはしたことがある。
しかしそれ以外に、彼女らの振る舞いを見ていればわかる不文律がひとつあった。
抜け駆け禁止、だ。
そして先月のバレンタインに、その不文律が脅かされる事件が起こったのだ。端的に言えば、七緒が告白をされた。相手は、ファンクラブ会員ではない(というのもなんだか変だが)後輩の女の子だった。
古式ゆかしいお手紙でのお呼び出しで、正直、ファンクラブができて以降そういった機会もほぼなくなっていたので驚きはした。しかし告白という手段をとられた以上は、なんらかのリアクションが必要になる。
その場で「気持ちは嬉しいけど、ごめんね」と断ったし、相手の反応からも玉砕覚悟だったのはうかがえた。
ところが女子のネットワークとは恐ろしいもので、どこからか「七緒に告白をしたものがいる」という情報が漏れ伝わり、ファンクラブ内で動揺が走ったらしい。それ以降、抜け駆け禁止の不文律はより確固たるものとして機能している、ような気がする。
ようするにみんながちょっとずつギスギスしている。七緒が誰のものでもないことがファンクラブの結束を保たせている一因であり、七緒自身もそれを自覚していた。
だから特定の異性と親密になろうとはしない。過去の過ちを、くり返すわけにはいかないのだ。
「お待たせー」
女の子たちが待っていたのは、校門の脇にある木立の下だった。弓道場の外から見学していたのもわかっていたが、春休みだというのに結構な数がいる。姿を見せると一斉にきゃあっと色めき立った。
「七緒くん、お疲れさま!」
「お疲れさまです!」
「みんな春休みなのに、わざわざ見に来てくれたんだ?」
「もちろん! 七緒くん、今日も素敵だった!」
「ありがとね」
「ねえ七緒くん、この前のこと考えてくれた?」
「この前のこと? なんだったっけ?」
「春休み中にどこかにお出かけしようって話ですよぉ」
「あー、してたねそんな話。でもごめん、オレ明日から家族旅行だし……部活もあるしちょっと難しいかもなー」
「えー、そうなのー?」
「でも自由参加の日もあるでしょ? 遊びに行こーよー」
「そうそう。七緒先輩、普段から練習されてるしちょっとくらい遊んだって大丈夫ですよ」
ねー、と口々に同意をもらうが、「七緒くんと遊びに行きたい」派と「部活を頑張ってる姿を応援したい」派という水面下の対立もあったりするのを知っている。みんなに均等に笑顔を返しつつも、どうしたものかなと考える。
女の子たちが自分に向けてくれる好意は嬉しいし、みんなかわいいと思う。しかし、いまのピリついた雰囲気のまま遊びに行っても、心から楽しめないような気がするのだ。遊びに行ける組、行けない組も発生するだろう。どちらかというと、いまはほとぼりが冷めるまでそっとしておきたいのが本音だった。
どうやってうまく断ろうか。なるべく角が立たないような言葉を探していると、後ろから「七緒」と呼ぶ声がした。みんなの視線が、七緒の後方に向く。
「え、かっちゃん? 何?」
振り返りながら尋ねたが、海斗は答えずそのままこちらに向かってきた。
「電車。次の乗らねえと間に合わないだろ」
何に? と思ったが、尋ねる前に海斗が女の子たちに向かって「悪いけど、こいつ明日のことでこのあと予定あるから」と断りを入れた。女の子たちは「えー」「そうなんだー」と残念そうにしながらも、素直に海斗に道を譲る。
「ほら行くぞ」
海斗は彼女らの視線を遮るように七緒の前に立った。そのまま歩き出すので、口早に「ごめんね、じゃあまた連絡する!」と女の子たちに挨拶をし、海斗のあとに続くことにする。
「……予定なんか、ないじゃん」
校門を出てから、ぽつりとつぶやいた。駅に向かって歩く海斗に、歩調を合わせながら続ける。
「他のみんなは?」
「先に帰った」
「そっか。……うそも方便、って?」
海斗は答えなかった。
「やっさしー。もう、かっちゃんったらいつからそんな真似できるようになったの? 昔だったら『うるせーんだよ』とかなんとかさあ、乱暴な物言いだったのにねえ」
「もうお前、黙れ」
「はいはい。……でも、ありがとね」
やはりこちらは見ず、何も答えなかった。ただ前を向いて、進んでいく。
海斗は、少し変わった。真面目さも不愛想さも湊に負けず劣らずの弓バカっぷりも変わらないが、ほんの少しだけやわらかくなった。というより、元来持っていたやさしさが見えるようになってきた、と言ったほうがいいだろうか。尖らせることで武装していたものを、丹念にやすりにかけるようにして。まだ完全ではないし、磨き足りないところもあるけれど。でも明確に、時間をかけて、変化している。
それはとても喜ばしいことだ。初対面では相手にビビられる、というのはすぐに変わらないかもしれないが。いまの海斗は次に入ってくる新入生に対して、七緒が積極的にとりなす真似をせずとも、円滑に新生風舞弓道部のスタートを切れるだろう。
「楽しみだなあ。明日からの旅行」
ホームで電車を待ちながら、海斗がこちらに視線を寄越したのでにっこり笑ってみせる。
「ねっ」
「……そうかよ」
「えぇ~? 人生初の野球観戦っしょ? もっとテンション上げてよ」
「野球わかんねえし」
「じゃあかっちゃん、いまからやっぱりUSJ組にしてもらう?」
「もっといやだっつーの」
海斗はてんで野球観戦に興味はないが、七緒が別行動で甲子園球場に行くため同行することになったのだ。自分ひとり、女性陣といっしょにテーマパークへ行ったところで楽しめないのが目に見えているのだろう。
こんなテンションでは野球観戦もどこまで楽しんでもらえるか不明だが、七緒とふたりのほうが気楽なのは間違いないだろう。
それどころか自分は旅行自体行かないとも言い出しかねなかったのだが、そこはまあ、周りの説得と七緒のひと押しで「しょーがねえな」と折れてくれた。
自分たちの年齢を考えても、たぶんこれが最後の合同旅行になるだろう。海斗の姉たちは就職するし、曾祖母だっていつまで元気かもわからない。
会えるときに、会わないとだめだ。いつかの湊の言葉がきっと海斗にも沁みていたと思う。
「やっぱ野球は生で観てこそだって。かっちゃんもすぐわかるよ」
「あーはいはい」
電車がホームに到着する。車内は空いていた。並んで座り、向かいの車窓から見える景色に目を向けた。
「お前、迷惑ならちゃんと言えよ」
しばらくそうしていたあと、海斗が声を低くしてつぶやいた。
「ファンクラブが? べつに迷惑ってわけじゃないんだって。ただちょっと、いまはそっとしといたほうがいいかなってだけで」
ちらりと海斗の顔を横目で見る。お互いに正面を向いたまま、視線は交わらない。しかし長年の付き合いというやつで、それなりに案じられているのは伝わってきた。海斗から心配されるレベル、というのがまた現状の悩ましさを物語っている気もする。
時間が解決してくれるものなのかどうか、本当のところはわからなかった。来月、新入生が入ればまたメンバーが増えるかもしれない。去年がそうだったように。喜ばしくはあるが、気苦労も同様に発生しそうだ。
「まあ、いざとなったら考えるけど。オレ的にはみんなで仲良くしたいんだけどねー。モテる男はつらいっす」
わざと茶化したが、海斗は「言ってろ」と短く返しただけだった。
「あの……、七緒くん……?」
そのままスタジアムグルメの話をしていたとき、次の駅で車両に乗り込んできた女性が七緒に声をかけてきた。
最初、本当に誰かわからなかった。こざっぱりと化粧をしていて、髪型も変わっていたからだ。
「弥生先輩……?」
「うん、そう。久しぶり……偶然だね」
海斗が怪訝そうな顔をしているのがわかったので、立ち上がり「中学のときの先輩」と手短に紹介した。そして弥生にも、海斗をいとこだと紹介する。海斗はまだ警戒心を崩さないまま「どうも」とだけ言った。
「ごめん、びっくりして話しかけちゃった」
「いえいえ。オレも最初誰かと思ってびっくりしました。キレーになってるから」
「やだ、やめてよ。はずかしい」
ひらひらと顔の前で振った手の、指先もきれいに桜色のマニキュアが塗られている。あの夏の日、足先を彩っていた鮮やかなターコイズブルーを思い出した。同時に、蒸し暑い部屋の中と、カルキの匂い。ひぐらしが鳴いていたバス停のこと。
鼓動が早くなる。なるべく、息を深く吸い込んだ。
「先輩、もしかして大学決まった? それとも就職?」
「進学だよ。推薦で早々に終わらせちゃった」
「そうなんだ、おめでとうございます」
「ありがとう」
弥生はふふ、と笑ったが、すぐ神妙な面持ちになってじっとこちらを見た。
「――約束破って、ごめんね。話してくれてありがとう」
それじゃ、と弥生は言って、そのまま隣の車両へ移っていった。海斗に「おい」と声をかけられるまで、七緒は呆然とその場に立ちつくしていた。
「え? あぁ、ごめん。なんか言った?」
「……お前、大丈夫か」
「大丈夫って、何が?」
座席に座り直し、へらっと笑ってみせる。しかし海斗の表情はちっとも緩まない。
「あの人となんかあったのか?」
「なんで? べつに大したことないよ」
笑っている、と思う。自分の表情は。自慢じゃないが、表情筋はかなり精密にコントロールできるほうだ。
「七緒」
なのに、海斗は声を強めて名前を呼ぶ。ごまかされてくれないらしい。しかし海斗に言えるようなことはないし、言いたくもなかった。
なんでかな。なんで気づくのかな。
久しぶりに抱く感情だった。自分の心があちこち跳ね回って、その場にとどまってくれない。あっちとこっち、相反するのに共存する。
「――元カノ」
「は?」
「だから、元カノ。これで満足?」
「いや、ちょっと待てよ。元カノってなんだよ」
「言葉どおりの意味じゃん。これ以上はプライベートだからお答えできませーん」
軽薄に言ってみたつもりだったが、海斗は一気に眉間に皺を寄せた。
「ごまかすなよ。そんな話聞いたことねえぞ」
「……あのさ、オレはなんでもかっちゃんに報告しないといけないの? それってなんの権限? 元、なんだよ。もう終わった話だし、かっちゃんには関係ないよね?」
まくし立てれば、海斗はぐっと言葉に詰まった。もう話したくない、というのは存分に伝わっただろう。「もういい?」と念を押し、海斗がそれ以上食い下がってこないのを確かめてから、七緒はまた窓の外に目をやった。
座席に身を沈めて、ゆっくり静かに息を吐く。ぐちゃぐちゃした、濁った波が身体の内側に押し寄せていた。
約束は、三つあった。決して他言しないこと。連絡を取らないこと。会わないこと。
反故にされたことを怒ったりはしていない。他言されていたとしても、いままで七緒の耳には届いていないからそれもいい。
けれど、なんでいまなんだよ、とは言いたかった。
心の奥深くに、閉じ込めていた箱が開いてしまった感覚がする。こぼれ出る。ずっとしまいこんで、澱となって沈んでいたものが。どうしてだろう。自分はうまくやれていたはずなのに。ちゃんと、できていたのに。
学校を出る前の、更衣室でのやわらかな空気を思い出そうとする。あんなに覚えておきたいと願ったのに、さっきのことのはずなのに、うまく思い出せなかった。
窓の外から、膝の上に置いた自分の手に視線を移す。少し開いて、握り直した。大丈夫。これまでもやってきたことだから。開いてしまっても、また閉めればいい。
電車から降りて、いつもの場所で「じゃあまた明日ね」と言って別れるまで、海斗とはお互いまともに話さないままだった。
*
車でのそれなりに長い移動を終えて、曾祖母の家に着いたのはお昼過ぎだった。
ほぼ十年ぶりに会った曾祖母は七緒の記憶の中よりも少し痩せていたけれど、孫とひ孫の顔を見るなり「ほんまに来たんか!」と笑い出した。しかもいわゆる〝おばあちゃん〟らしい「あらあら」といった穏やかな様子ではなく、新喜劇でも見ているかのようなゲラゲラとした豪快な笑い方で。
「そりゃ来るでしょ!」
「もー、おばあちゃん相変わらずなんだから」
それでもよう来たわぁ、と孫(母親たち)の腕のあたりをぽんぽんと叩き、七緒たちには「久しぶりやなあ、大きなって」としわくちゃな顔で笑ってくれた。
「でも悪いんやけどばあちゃん、ひ孫の名前は誰が誰やったか覚えてへんねん。べっぴんは区別がつかんのよ。イケメンは阪神の選手ならわかるんやけど」
「三人もべっぴんがいてごめんねぇ」
べっぴんの中ではいちばん快活な美波がおどけながら謝ると、曾祖母はさらに声をあげて笑った。
「まあ疲れたやろ、上がんなさいな。昨日ちゃーんと掃除したでな」
はーい、おじゃましまーすと先に女性陣が靴を脱ぎ、奥へ進んでいく。いつものことだが男手は自分たちだけなので、荷物を持ってそのあとに続いた。
昨日の今日だが、海斗とは極力普段どおり接した。移動中にサービスエリアなどで不意にふたりきりになるタイミングもあり、そのたび海斗のほうは何か言いたげにしていたが、気づかないふりをしてやり過ごすうちに諦めてくれたようだった。
曾祖母、千代ばあちゃんの家は広いが、廊下を歩くとミシミシと音の鳴る古い二階建ての家屋だ。和室が多く開放的な造りで、部屋の数がかつてのこの家の繁栄ぶりを静かに告げていた。居間の隣はふすまを開けて一部屋になる広い仏間があり、客間も兼用する。
ひとまずそこに荷物を置くと、海斗の母親が「ありがとね」と礼を言うと共に「あんたたちは二階だから」と告げてきた。海斗が不満げに「は?」と声を洩らす。
「そりゃ男女別でしょ。明日はここ使ってもいいけど、今日のところは二階」
「ま、そうだよねー。ほらかっちゃん、荷物持ってくよ」
正直、は? と言いたいのはこっちのほうだったが、想定の範囲内なので普段どおりを意識して海斗を促した。
気まずいのはお互い様だっての。
「何? 若様もしかして二階怖いの~?」
「あ、おばけが出る部屋ね」
「そういえばそうだったねー。ばあちゃん、いまもおばけ出るの?」
べっぴん三人衆は完全に他人事――実際そうだが――として楽しんでいる。
「……出る」
ぼそりとばあちゃんがつぶやき、三人はきゃあっとふざけ半分の悲鳴をあげた。海斗がぴしりと固まってしまったのを見て、ばあちゃんは「うそうそ」とおかしそうに言う。
「おったら家賃取っとるわ! でも手前の部屋使いなさい、掃除してもらっとるのそっちだけやから。もう階段はしんどうてね、奥はしばらくなんもしてへんのよ」
「はーい」
いい子の返事をして七緒は先に階段へ向かう。からかわれてしまった海斗は「なんだよ」と小さく言ってからあとをついてきた。
おばけが出る部屋、の真偽はわからないが、二階の奥の部屋がそうだった。それこそ十年前にこの家へ訪れたとき、ばあちゃんからひ孫たちはみんな脅されたものだ。
――二階の奥の部屋、おばけ出んで。入ったらどうなるやろなあ……。
その語り口のおどろおどろしさからもほぼ全員が縮みあがって、二階自体を怖がるもの(特に海斗)もいた。しかし昨日遼平に話したとおり、七緒はその部屋にかくれんぼで隠れたのだ。海斗はもちろん怖がりいやがったので、ひとりで。
ただの好奇心だった。それに、奥まって日当たりが悪かったがもちろんおばけはおらず、ただのこまごまとした物置きだったような気がする。当時はそれでも本当におばけがいるのかも、いたらどうしようかな、という期待感でわくわくしていて、何が置いてあったのかもよく覚えていない。子どもに荒らされたくなかった、だとかそういった理由での脅かしだったのだろう。
ぎしぎし鳴る急な階段を上り、指定された手前の部屋に足を踏み入れた。なんの変哲もない六畳間で、掃除してくれたというだけあって埃っぽさはない。部屋の奥に置かれている布団や枕も清潔そうだった。
それでも長年使われていないらしい、どこかよそよそしい空気はある。人が使わなければどうしてもそうなるものなのだろう。
「わびさびだねぇ」
「そーいう問題か?」
「ま、寝るだけだし問題ないっしょ。おばけもいないみたいだし。よかったねー」
「うるせーな」
今回の旅行の予定として、今日は全員で移動とばあちゃんとの団らんだが、明日は別行動になる。女性陣はUSJへ行き、そのまま近くの提携ホテルに泊まるのだ。
七緒と海斗の甲子園球場観戦もそうなのだが、どちらもばあちゃんの人脈で融通してもらった招待チケット、らしい。詳しいことはわからないが、ホテルに関してはほぼ半額で泊まれるとのことでそうなった。ばあちゃんはいったい何者なんだ、というのが道中での主な話題だったが、母親たちも「さあ?」とよく知らないらしかった。あまりつっこまないでおこう、というのが結論だ。
旅程を決めたときは楽しみしかなかったが、海斗とふたりきりの時間が長いことに、いまはちょっとだけ歯噛みしたくなる。だが普段どおり振る舞うと決めた以上はそうも言っていられない。普段どおり。これまでやってきたように。いつもどおりの自分でいればいい。それはべつに、七緒にとってむつかしいことではない。
ここまでかたくなに「昨日のことは話したくない」という態度を貫いたおかげか、海斗の態度も少しずつ「普段どおり」のチャンネルに戻ってきてはいる。夜だって、先に寝てしまえばいいだろうし。修学旅行じゃないんだから、夜更かしして「好きな人いる?」みたいな話をする必要もない。
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