帰宅すると、部屋に誰もいなかった。
「えぇ……」
つい声がもれる。電気はついているし、人の気配もしっかり残っている。
『もうすぐつく』と送ったメッセージにもちゃんと『了解』のスタンプが返ってきたし、いるはずの亮介の姿が見当たらない。
買ってきたケーキをテーブルの上に置く。今日は亮介の誕生日で、倉持は予約していたケーキを取りに行っていた。今年は誕生日が休日なのでどこかに出かけてもよかったのだが、当の本人が「なにもしないをしたい」と宣ったため倉持は全力でそれを叶えた次第である。
実際、本当になにもしなかったわけではないが。
すっかり陽も落ちている。出かけるにしたって一言連絡はくれるだろうし、どんなに近場であろうと亮介が電気をつけっぱなしで出かけるのは考え難い。
トイレや風呂にもいないようだし、じゃあいったいどこに。
「あ、おかえりー」
焦りかけたとき、あっさりとベランダへ出る窓とカーテンが開き亮介が顔を出した。
「びっくりした、なんでそんなとこいるんすか」
「いいから来なよ。サンダルかなんか持ってきて」
「ケーキは?」
「ちゃんと食べるから」
楽しそうに、おいでおいでと手招きされてしまっては逆らえない。言われたとおり玄関からサンダルを取ってきて、ベランダへ出る。
「ほら」
柵にもたれている亮介のとなりに並び、促されたほうを見た。すぐ眼下に、ささやかながら桜並木が広がっていた。夜の中では、月明かりや街灯に花びらが反射して淡い光を放っている。おなじ色をした亮介の髪が揺れた。
「桜、こんなに咲いてたんだね」
「ほんとですね」
「――知ってたな?」
「いや、だって今日ここで洗濯干したし」
「言えよ、そういうことは」
咎められたが口調は軽い。距離が近いため、ベランダの床にも花びらが散らばっている。この部屋に引っ越したのが昨年の夏の終わりで、建物の裏はあまり通らないものだから、こんなふうに桜が見えるのはたしかに昼まで気づいていなかった。
ほぼ真上から桜を見るのも新鮮だなという感想は抱いたが、桜を見ても想起されるのは亮介のことばかりだ。
「てか、なんで先に飲んでんスか」
亮介が手に持っていたビールの缶を取り上げる。ほとんど空だ。
「そりゃあ花見なんだから、飲むだろ」
どうやら機嫌は直ったらしい。
さっきまで服を着直しながら「なにもしないって言ったのになあ」と文句を言われていたので、そこは安堵した。
ふれた肩がつめたい。いくら日中の気温が上がり桜が咲き誇る陽気でも、夜はまだひんやりとしている。
取り上げた缶を室外機の上に置いて、亮介のすこし冷えた身体を抱き寄せた。お互いの体温が、なじんでまざっていく。腕の中の亮介は、楽しそうにくすくす笑っていた。
「ご機嫌ですね」
「まあね。ケーキ食べる?」
「食べる」
「その前にキスする?」
「え、する」
反射的に答えたのがおもしろかったのか、亮介はまた笑ってから背伸びをして倉持のくちびるへふれた。
夜風とビールでまだ冷たかったそこもまた、お互いの体温でぬくまっていく。
「亮さん、誕生日おめでとう」
「何回目だよ」
「百回目」
「そこまでは祝われてない」
互いに笑い合って、部屋の中に戻ってからも、もう一度キスをした。
ケーキを切り分けたり、飲み物の準備をするのも倉持だ。なにせ、お誕生日様はなにもしないのがお望みなので。倉持にはそれが嬉しい。亮介の身の回りのことを、なんでもさせてもらえるということの意味をわかっているから。
いただきます、と両手を合わせる亮介の左手薬指に、光るものがある。もちろん、倉持の左手薬指にも。
何度だって、これから先も。百回目の誕生日だって、いちばんそばで祝いたい。
先のことなんてわかんないよ、と亮介は笑うだろう。だけどいまは、そうして笑ってくれることがしあわせだ。
fin.

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